「そういえば、人を好きになったことがない」30歳女性がアパホテルで気づいた「私、アセクシャルだったんだ」|case.1 前編
「海外から帰ってきて隔離期間中、アパホテルで『アセクシャル』を自認したんです」
少し苦笑い気味にそう語るのは、ぽにおさん。会社員のかたわら、3等身のほのぼの系イラストでアセクシャルについての漫画を描くアラサーだ。
自認してからTwitterのアカウントを作り、漫画、RadioTalkなどさまざまな形で情報発信をする謎多き「ぽにおさん」に話を聞いてみた。(記事は後編もあります。後編はこちら)
Q1 どんな子どもでしたか?
セーラームーンが好きでした
――小さい頃はどんな子どもでしたか?
おとなしめの普通の女の子でセーラームーンが好きでした。ただ、大人に気に入られるタイプではなかったですね。妹がいて自然と2人で遊ぶこともありましたけど、ひとり遊びが好きでよくひとりで絵を描いて遊んでいました。
――過去の投稿で小さい頃は「生きづらさを感じていた」とありますが、どのような環境だったんでしょうか?
両親が「子どもはこうあるべき」というものを強く持っていて、「理想の子ども」像を押し付けてくる親でした。友達をつくって、遊んで、親からもらったものは礼儀正しくありがたく喜ぶリアクションをして……みたいな「理想の子ども像」がある。そういうふうに求められることと、自分はたいてい正反対の性質を持っていて、心の中で思う「こうしていたら楽なのに」という考えと親が求めるものとの「開き」が常にある、という状態でした。
より大人になればそのあたりが自由になるかと思ったら、恋愛が絡むような中学高校の年代になって「女の子として男の子にモテるためにはこういう振る舞いをしなきゃだよね」みたいなことを言われ、「生きづらい」が続いていく、そんな状態でした。そういう親とのギャップが強くて、「セクマイ、HSP、コミュ障、自己肯定感皆無という生き辛さの宝石箱」みたいな状態でした。
ずっと一人で生きていきたいという願望があった
――今振り返ると親の求めるものとのギャップは大きかった?
そうですね。例えば、友達は少なめだったと思います。当時、「友だちが少ない」ことって悪いこととされて、自分もそれに悩んでいて。中学生の時に、なんとなくノリが違うところがあったからか、ふんわりみんなに無視されるみたいな、軽くいじめも受けたりして。それで親に相談したら「気のせいだよ」と言われ……そのようなこともあって、根本的に「人間が苦手」なんです。友達の先の「恋愛」へと向かっていくというイメージも持てたことがなくて。その頃からずっと一人で生きていきたいという願望がありました。
母親はバブル時代の人で「男の人にモテる」というのがイコールその人の価値みたいな感覚で。母親はたぶん若い時モテたんですよ(笑)。それでそういうふうになりなさい、という教育だったのかなと。
父親はしつけのつもりだったと思うんですけど、今思い返すと、自分で気に食わないことを大声で叫んで、こちらが反省したふりをして機嫌を取る、ということをしていただけ。だから言われたことを何一つ納得したことがない。それがあって、上司が男性だったりすると、苦手意識が未だにあります。
2人から精神的なケアをされなかったという思いがあって、今も親にはどこかで「許せない」という感情があるんですよね。
「男ウケ」を嫌って“ピエロ”に
――母親から言われた「モテようとする」価値観をどう受け止めていた?
うーん、「モテようとする」自分を想像しただけで気持ち悪いなと思っちゃって。可愛い格好が好きな時期もあったんですけど、「男ウケしそう」とか「男の子が好きそうな格好だよね」とか言われると「もう嫌だー」ってそういったものを身に着けなくなっていきました。
――自分が「着たい」ではなく、相手に「こう見られたくない」でファッションの自由度が狭まっていったんですね。
「男ウケする」とかそういう評価にさらされるのが嫌になって、一切そういうふうに見られたくないと思って、大学生くらいできゃりーぱみゅぱみゅみたいなピエロファッションに走りました。
ファッションと「生きづらさ」への反発
――なんと! “ファッションモンスター”になったんですか、大転換ですね。
男性に媚びてないけど、ファッションを楽しみたいというのを盛り込んだら、そこに行き着いて。大学時代は黒髪だったんですけど、就職して美容師になってからは金とか赤とか水色、ピンクなんでもやりましたね。ハマーパンツっていう、サルエルのもっとダボダボしたやつとかの水玉柄を着たりして。雑誌だと『Zipper』とか『KERA』を読んで、影響を受けてました。そういったファッションも今思えば「生きづらさ」への反発でしたね。
――親はそれをどう見ていた?
いい顔はしていなかった、です。たまに「それで近所歩くんじゃね―よ」って父に言われたり、まあ無視してましたけど。大学に入ってからバイト代で買った服だったし、何も文句言わせないという思いでしたね。
Q2 アセクシャル、アロマンティックにはどのように出会ったんですか?
美容師→ニート→美容師→倉庫バイト
――それからどんな人生を歩んできたんでしょう
大学卒業後、やっぱり美容師になりたいと思って美容学校に2年間行って、4年間最初のお店で勤務して、半年ニートをして、2つ目のお店で半年ほど勤務したタイミングでひどいクビのされ方をして、死のうと思って身辺整理を始めたんです。2つ目のお店から家を出て一人暮らしをしていたんですが、部屋を解約するにもお金も必要だし、それで人にできるだけ会わない“倉庫バイト”を始めたんです。それが性(しょう)にあいすぎて、しかも社食がとても美味しかった。短期が1年になり、派遣元の正社員になって、生きるルートに戻ってしまった感じですね。
希死念慮
――すごい波乱万丈ですね。死のうと思ったというのは?
2つ目のお店で「5年アシスタントやっていたって聞いてたのにつかえねーじゃねえか」みたいな感じのことをずっとオーナーと店長に言われ、結構理不尽ないじめに遭って、追い詰められた末に、試用期間以降は雇えないと言われ、精神的にやられて、「もういいや」となっていたんです。子どもの頃から希死念慮はなんとなくあって、でもそれに抗うために「やりたいことをやろう」と美容師をやり始めて、でもそれをへし折られて、とうとう実行しようと考えていたんです。
アパホテルで検索した<好きにならない>
――なかなか壮絶……ですね。どのタイミングでアセクシャルという単語に出会ったんですか?
今から3年前、2つ目の美容室に入る時、海外で研修があって、帰国したのが2020年夏、コロナ禍真っ只中の時期でした。当時、隔離期間があって、アパホテルに2週間くらい缶詰状態になっていたんです。その時にふと『30歳か、もう……。そういえば『いい人見つかる』とか言われてきたけど、この年になって人を好きになったことないなあ』と思い、この年にして他にそういう人いるのかなと<好きにならない><アラサー>とかで検索して。「やっぱこれじゃん」と思って自認に至りました。
というのも、『アセクシャル』という単語それ自体は前から知っていて。知った時にマンガとなっていたのが「性嫌悪のある男性」がモデルとなっていた作品でした。性嫌悪のある人が「アセクシャル」として登場していて、ここまでの嫌悪ではないから、似てるけど自分は違うのかなと思っていました。
それで再び出会って、調べていったらいろんな種類のアロマンティック・アセクシャルがいるということがわかって、『やっぱこの方向性であってたわ』となって、アカウント作ったら、『仲間いっぱいいるじゃん』と気づけたんです」
Q3 Aro/Aceに出会うまで感じた生きづらさはありますか?
NOを言っていい「ボーダーライン」がわからない
――美容室でミニスカートを履くのを強制されたそうですね。
1店舗目なんですけど、ペラッペラのミニーちゃんのスカートを着て、美容室内でのカットなどの作業と駅前とかでの呼び込み宣伝をしなくちゃいけなくて。死ぬほど嫌だったんですよ。
――その意見は言葉にしなかった?
宗教みたいな雰囲気のお店で、社長バンザイみたいなタイプのお店だったんですよ。その時の自分は逆らえなくて、着るしかなかったんですよね。写真とかにも残っているし、嫌だな―って。イベントごとにコスプレもしなくちゃいけなかったし。
それも自分の家庭環境につながるんですが、両親2人とも「こうあってほしい」というところから少しでも外れると大騒ぎする親で、その言うことを聞いてきたので、こういった職場でのヤバい扱い、変な命令も「理不尽なのが当たり前」と、モラハラ的なことも受け入れてしまう部分があったと思います。NOを言っていい「ボーダーライン」がわからないまま、社会人になっていました。もし「嫌だ」と言って聞いてくれる親だったら、そういったこともなく、「もっと早めに人生が上手くいっていたんじゃないか」と考えちゃうことはあります。
相手のニーズと自分が供給できるものが乖離しすぎている
――仕事以外で言うと、恋愛に関して過去、ぽにおさんは「相手が好きになっている私と自分が別物であると言う認識がある」と発信していました。この自認する前のもやもやについて詳しく教えてもらってもいいでしょうか?
高校生とか二十歳くらいに男性とお付き合いをしたことがあったのですが、当時は、もやもやと嫌だなと思うだけで言語化できず、よくわからない状態でした。でも今振り返ると、「相手が好きな自分」は、「ゆくゆくは一般的な愛情表現をしてくれる女性」として見られていて、私がそうなった状態が好きなんだろうな、と感じ取っていたけど、自分ではそういうふうになるイメージがわいてこないから、この先には「別れ」しかないじゃんっていう「すれ違い」に気づいて、相手が求めるものと自分が供給できるものが乖離しすぎていると認識して、その「別物」という表現になったんだと思います。
「恋人」ってなった時点で、多くの人はすべてをさらけ出して理解し合えるという方向に向かうだろう、とそれがなんとなく「前提」とされているじゃないですか。それも私からしたら違うよなーと思っています。
私、人間って、血がつながる家族でも全部は知らないものだと思うんですよね。ちょっと前にすごいしっくり来るツイートがありまして。
たしか「人はみんな、“一緒にひとりを生きている”んだよ」というものだったと思うんですけど、そういうものだと自分も思っているから、その自分と他者の間にある壁をぶち壊して、余分なところまでさらけ出すのを求められるのが、鬱陶しいというか。だから両親からの押しつけも「嫌」という感情が勝っているんだと思います。
逃げ切れない20代
――出会うまでに感じた生きづらさは今思い返すと、他にもあったりしますか? あるとしたらどのようなことがありますか?
「恋人いなくてひとりという状態が楽しい」という私に対して、お決まりの「出会ってないだけだよ」とか「30手前になると結婚したくなるよ」とかガンガン言われて、逃げ切れない嫌な感じがしたのは20代に入ってからですね。
10代までは「そんなの、まだ考えられないよ」で逃げられたんですよ。20代になると恋愛に関する捉え方が本格化してくるじゃないですか。彼氏いない状態だと、「彼氏作ろうとしないの?」とか周囲から言われたりするし。そういう動きがまったくないことの「理由」が求められる。「欲しくない」とか言っても、「またまた~」とか「モテないからでしょ」とかって言われてしまったり。だからピエロみたいな格好をして反発するまでになってしまった。そういう生きづらさが大人になってからありました。
――「30手前になったら結婚したくなるよ」という言葉によって、「30歳」というのを意識させられた?
20代のときは、良い出会いがあったりして、結婚したくなったりするのかなと思いながら過ごして、その結果アパホテルで缶詰の時に「そういうこと微塵もなかったじゃん!」って気づいて。「未熟なだけ」って言われ続けてきたけど、年相応の仕事とか人生経験を積んできて、アセクシャルという単語を知って、「幼稚」「精神が未熟」といわれるのも違和感があるなと疑問に思うようになりました。
Q4 アロマンティック・アセクシャル(以下、Aro/Ace)に出会ってからどのような変化がありましたか?
自認ハイ
――自認してからの変化は?
まず最初に思ったのは、『自分、これでよかったんだ』ということですね。やはり周りがみんなぜんぜん違うから、こんな考え方をする自分が「おかしかったり、変わっていたりするんだろうな」と漠然と思っていたのが、こういうカテゴリーの人が一定数いるというのを知って、「おかしいとかじゃないんだ、これでいいんじゃん」と思ってすごく嬉しかったですね。
誰かが「自認ハイ」って言っていて、それってすごくわかるなーと。自認してテンションがあって、カミングアウトしまくっちゃうっていう人がいたりするじゃないですか。それくらい嬉しくなるものなんです。もし私が10代の時に自認していたら、自認ハイで「まわりと違うんだ、私は」みたいな感じで酔っていたと思います。なので、30で自認したのは本当によかったなと。あやうく黒歴史を量産するところでした(笑)。
アラサーでこういう考えの人がいる
――アカウントを作って、ご自身が発信するようになった理由は?
例えば20歳でアロマンティック、アセクシャルですって発信したりするじゃないですか。絶対に「出会ってないだけ」「判断するには早すぎる」攻撃が待っているんですよ。
そこを30歳を過ぎた私が言うことで、「その年齢までいって、それに至っているのであれば『そういう人もいるのか』」とみんな捉えてくれる。もちろん反論する人はいると思いますけど、より若い人が言うより反論の余地が少なく、圧倒的に説得力のある発信ができる。
自認している若い世代にとって「この年齢でこういう考えの人がいる」というひとつのロールモデルになったらいいなと。なんならAro/Aceであること、それが存在していることを納得してくれない人がいたら、自分が描いているマンガを見せて、理解を得るツールにもなれるんじゃないかなと思って、始めました。
マンガにした理由
――マンガにしようと思ったのは何か理由があるんでしょうか?
性的指向とかセクシュアリティってとっつきにくいテーマだと思うんです。それをとっつきやすい感じで、あんまり興味ない人やうっすらマイノリティーに拒否感を持っている人にも読んでもらえる感じでネット上に置いておけたらなと思って始めたんですよね。3等身のキャラ、線の多くない、すごくゆるい絵でやっているのは、そのほうが読みやすいかなと思って、ああいったタッチのイラストにしています。
――もともと何かイラストは描かれていたんでしょうか?
もともと絵を描くのは好きで、中学生までは美術部に入っていたんですけど、それからぱったり描かなくなって。なので10年ぶりくらいに描いた感じでしたね。
自認後の伏線回収のような体験
――「自認してから自己理解が深まった」と過去発信されていました。これはどういう変化だったのでしょうか?
今まで積み重なっていたモヤモヤが、アニメ作品の伏線回収じゃないですけど、自認して「・こういう感覚の人がいます」というのを見て、「そういうことかー!」って自分の中での「モヤモヤ」という謎が解けていく……みたいな感じで。『進撃の巨人』で「巨人の正体が●●だった」(壮大なネタバレになるため伏せ字にしています)みたいに謎が解き明かされすべて伏線が繋がっていく、そうして「自分はこういう人間なんだ」と自分への理解が深まる感覚でした。
その一方で、自分を説明するにあたって「セクシャリティー」が占める割合ってそんなに大きくないと思っています。あくまで一部、自分を構成する一つの特徴でしかない。
恋愛って人間の中で占める割合が高いとされていて、そこと相容れないことが生きづらさや障害になっていたから、恋愛に関わりを深く持たない気質なんだと気づいたことで、「恋愛脳」の人と対峙しても、聞き役に徹しようとか、カドが立たないように自分のことはできるだけ話さないようにしようとか、そういう「見せる自分」をその時々で変えていって、結果的に生きやすくなったということはあると思います。
――それも自分の中でモヤモヤとして自己像ではなく、「自分がこういう人間だ」という確信があるから、そういった「演じ分け」ができるわけですよね?
「恋愛に興味ない」「彼氏はいらない」とか言うと、必死に反論する人がいると思うんですけど、それって「自分の価値観を否定された」ような気持ちに「恋愛脳」の人がなっているんだと思うんですよ。だから、「私、そういうのは全然ないので~」「いつか欲しくなるかもしれないですねー」とかの流し方をしています。自認してから、その意見を鵜呑みにしてしまったり、真っ向から反発したりする形ではない、大人の対応ができるようになったと思います。
Q5 ラベリングについてどう感じていますか?
ラベリングは「メイク」みたいなもの
――ラベリングについてどう感じていますか?
いるならつければいいし、いらなければつけなくていいし、「メイク」みたいなものだなと私は思っています。
メイクも今、強制しない動きになっているじゃないですか。私は化粧品やメイクすることが好きだから、仕事上、強制はされていないけど、するようにしているんです。でも、しなくてもいいし、肌が弱いからできないって人もいたりする。だから、必要ないなと思ったらしないでいいというものだと思います。
話していて、Aro/Aceっぽいなという性質の人がいて、Aro/Aceという指向について話をしたりすると、それを聞いて、相手がピンとこない場合がある。そういう人は別にラベリングが必要ないんだろうなとも思うんです。ただ、Aro/Aceの界隈の中で、結婚とか恋愛に積極的じゃない理由を求められる人もいる。そしてそれが辛いという場合は、カミングアウトしたほうが生きやすいケースもあるのかなと思います。あえてカミングアウトしないという選択肢もありですし、もしかしたらそういう人のほうが多いのかもしれないですね。
――SNSなどで誰かとつながるためにはラベリングがあったほうが便利な側面もありますよね。
SNSにおいては、「タグ」の役割ですよね。化粧品でも、#コスメ大好き でコスメ好きと繋がれると思うんですけど、そういうのがなくてただただコスメの写真をあげるという楽しみ方もできたりします。
中身があってのラベリングじゃない?
――「アセクシャルだから私、◯◯なんだ」みたいなラベリングの認識、使い方はどう思いますか?
ラベリングに引っ張られてしまっている人を見たりするんですが、それは行き過ぎなんじゃないかと思うんですよね。ラベリングってそういうものじゃなくない? 中身があってのラベリングじゃない? っていう。恋愛したり、性的指向が少しでもあったら、Aro/Aceじゃなくなっちゃうから(どうしよう)……というのは、違うなって思うんですよね。
カミングアウトはする必要ない?
――カミングアウトについてはどう思いますか?
泣きながらカミングアウトしました、とかもあるじゃないですか。ゲイ、レズビアンというのは同性のパートナーもいて、より表面化しやすい。なので周りの人からしたら、ワンクッション置いて、事前に言っておいてほしいことなんだろうなと想像します。ただ、このAro/Aceの気質はわざわざ言う必要ないよねとも思います。
仲間を見つけたくて、SNSではラベリングをするけど、私は日常生活ではアセクシャル・アロマンティックという単語を話したことないし、言ったこともないんですよ。私が恋愛に興味がなくて、それ以外の趣味とかに生きていることを知っている人が仲良くしてくれているので、現時点ではカミングアウトという手段をとる必要がなくて。
(続く→後編へ)