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読書ノート 「清沢満之集」 安富信哉・編

 今村仁司が晩年痛く信奉し、親鸞を読み解く上で頼りにした清沢満之(1863-1903)。真宗大谷派の僧侶で東本願寺派、東京大学に学んだ清沢は、親鸞の思想を哲学的に基礎づけ、明治期の仏教界に大きな貢献をした。解説にあるように、「明治期に現れた実存的な宗教思想家」であり、先覚者である。

 清沢は、「廃仏毀釈の嵐を経て、自身を喪失した仏教がその本来の意義に目覚め、また立ち返ることを訴え、宗門改革運動(※1)を提起したが、のみならず宗門の枠を破り、哲学を土台として仏教の真理性を追求し、その確信から、「精神主義」の名のもと、欧化思想や物質主義に流され、精神的空虚に陥った同時代人に、精神性=宗教性の回復を訴えた」。東洋と西洋、浄土真宗と禅、親鸞と現代を結びつけ、「架け橋の建立者」(ジョンストン)と評され、同時代の西田幾多郎などにも影響を与えた。

 その思想は、西洋哲学を俯瞰しながら、東洋的な他力の教えを重視し、本来的自己の復権を唱えた。親鸞の他力の教えを読み解き、阿含経の再評価、歎異抄(※2)の再発見(現在の普及は清沢に負う部分が大きい)、自己省察の徹底を通じ、仏教の伝統回復に貢献した。「精神主義」とは、絶対無限者=如来に自己の立脚地をもとめ、協同和合の生き方を目指し、客観ではなく主観に標準をおくというもの。その頃のトレンドである精神から知性への移行を厳しく批判したと言えるだろう。近代合理主義が次々と取り入れられ浸透していくなかで、清沢は近代の闇を指摘し、人間中心主義、「精神主義」を訴えた。

 京都府尋常中学校長を辞し、宗門改革運動に奔走していた清沢は、結核により道半ばにして倒れる。今村仁司がこの清沢をどのように読んだのかは未確認だが、構造主義的手法による東洋思想の読み直しをする上で、鉱脈を見つけたと感じたのではないか。清沢の「万物一体」の出だしはこのように始まる。

 「万物一体の真理は、あるいは唯心論と説明され、あるいは汎神論と説明され、あるいは事事無礙法界と説明される。…要するに、宇宙に存在するすべての物体が、個個別々にばらばらにあるのではなく、互いに相寄り相待ちて、一組織体を成り立たせているのである」どこかで聞いたことのあるフレーズですなあ。こうして見てくると、中沢新一の方向性(レンマ学)は至極真っ当に思えてきます。


※1 明治中期、真宗大谷派の学僧清沢満之と井上豊忠ら六人の白川党が起こした宗教改革。全国的な一大運動となるが、宗政当局の術策により挫折した。

※2 『歎異抄(たんにしょう)』とは、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人が述べた言葉を門弟の唯円房がまとめた書物とされている。その中に「善人なほもつて往生をとぐ。いはんや悪人をや」という有名な一節である悪人正機説がある。

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