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読書ノート 「現代思想202012 特集 マックス・ウェーバー没後100年」

 これはウェーバーの特集だが、まずは牧野雅彦「ハンナ・アレントはウェーバーをどう読んだか」から、アーレントの思想を辿ってみる。

  • アーレントは『人間の条件』最終章第六章で近代の由来とその行末について論じている。

  • アーレントはそこで、近代導入の契機になった三つの出来事として

 ①大航海時代における地理上の発見
 ②宗教改革
 ③望遠鏡の発明

 を挙げる。アーレントは、宗教改革によって教会や修道院の財産没収が資本蓄積の出発点となったと考えている。この理解は、ウェーバーよりもむしろマルクスの「原始的蓄積」に近い。

  • 「人間の精神は数やシンボル、モデルを用いて地球上の物理的な距離を、人間の肉体の感覚が自然に理解できる間尺にまで圧縮することができる。我々が地球を周回することができるようになり、人間が住んでいる地域を数日あるいは数時間で往来できるようになる前に、われわれは居間に地球儀を持ち込んで、手で触れたり目の前で廻したりしていたのである」

  • 「たとえば時計というものは、もっぱら自然に対してある実験を行うための極めて『理論的』な目的のために発明された。確かにこの発明は、いったん実践上の有用性が明らかになると、人間生活のリズム全体と人間生活の様相そのものを変えてしまった。だが発明者から見れば、これは単なる偶然にすぎない。 

  • もし私たちが人間のいわゆる実践的本能のみに頼らなければならないとしたら、語るほどのテクノロジーは決して生まれなかっただろう。たしかに今日すでに存在している技術的発明の惰性である程度までの改善は生まれるかも知れない。だがもしわれわれが人間というものはまず第一に実践的な存在であると信じ続けるならば、技術的に条件づけられたわれわれの世界をさらに発展させることはおろか、それを維持することも覚束ないだろう」


  • 人間はますます自己の内部へと沈潜し(「世界からの疎外状態」)、端的には世界からの逃避こそ、近代を推進した心的起動力であった。

  • 「近代になって宗教が失ったのは救済や来世への信仰そのものではなく、救いの確かさだったのである。すべてのプロテスタントの諸国で起こったのはこうした事態であった。確かさの喪失がもたらした直接の結果、人生を修行期間と考えて、善を行いたいという熱狂が巻き起こったが、それと全く同じように、真理の確かさの喪失は、誠実さに対する前例のない熱狂をもたらすことになったのである」

  • ウェーバーにとってキリスト教が「世界宗教」になる最大の転換点は、アンティオキアでのパウロの異邦人キリスト教徒との会食であった。割礼をうけた者意外との会食の禁止というユダヤ教の禁忌を打破したこと、これこそユダヤ教の一宗派にすぎなかったキリスト教が、信徒の拡大をめぐる競争においてライバルであったパリサイ派との競争に勝ち、世界的な布教への礎石を築いた決定的な要因であったとウェーバーは言うのである。

  • 食卓の共同はアーレントのいう労働と消費の場としての家共同体の基礎原理であった。

 重田園江と野口雅弘の対談のなか、日本のウエーバー研究者のガラパゴス化について、「日本のウェーバー研究者、戦後日本の社会学者たちは『日本をいかに近代化するか』という自分自身の関心でウェーバーを読んでいるからそれらしいところばかりをピックアップしてくる」とし、「そもそもウェーバーは近代化という言葉を基本的に使っていない」「現代の基準を過去に持ち込むと、過去が過去として認識できなくなってしまう」と、手厳しい。社会学という「なんでもあり」でかつ政治を俯瞰できるような錯覚に陥るカテゴリーで、西洋社会を宗教と資本主義の揺籃期から見つめるきらびやかなウェーバーは、安全な高みの場所を確保してもくれ、大学内の狭い世界で生きるのに都合が良かったのだろう。

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