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読書ノート 「大乗仏教概論」 鈴木大拙 佐々木閑訳

「全世界を通じて、人間性というものは基本的にまったく同じものであり、条件さえ整えば、いついかなる場所においても同じような精神現象が現れる。そしてこの事実こそが、真理の普遍性および慈悲の広大無辺なる力に対する我々の確信を揺るぎないものとする。私が心から願うのは、知力の限りを尽くして研究を継続し、そしてその結果を我が同胞たちと分かち合いたいということである」(鈴木大拙)

 成長しない生命・宗教は存在しない。仏教もその成立時点より、様々な変化が起こり、その大きな変化・成長に大乗仏教と小乗仏教の分裂がある。どなたかが、宗教や文明も一個の生命であると喝破していたが、なるほどそうとも言えるなあと思う。忘れないよう理解すべきことを書き記していく。

 「大まかに言うと、大乗と小乗の違いは次のようなものである。大乗仏教は自由で革新的だがあまりにも形而上的すぎる点も多い。深い思索に満ちており、それが輝くばかりの卓越性を示すこともしばしばである。他方、小乗仏教は保守的な面が強く、多くの点で、単なる合理的倫理体系と考えることもできる、そういうものである」

 小乗にしてみれば、大乗こそが異端であった。
 革新派(大乗)・ネパール、チベット、中国、朝鮮、日本→北方仏教
 保守派(小乗)・セイロン、シャム、ビルマ→南方仏教

 日本や中国の浄土系諸派のようなものはネパールやチベットにはない
 浄土思想のアイディアは無著や龍樹、経典類にも現れているが、それ以上他地域では発展しなかった
 したがって仏教を地理的に分けるなら、南方、北方、そして東方の3つに分けるのが良い

 創始者は非限定的・暗示的→後継者は創始者の思想を発展させる
 カント→ヤコービ、フィヒテ、ヘーゲル、ショーペンハウアー
 フロイト→ユング、ラカン
 マルクス→アルチュセール
 ソシュール→構造主義の哲学者達

 最も古い大乗の解説は、馬鳴(アシュバゴーシャ)作と言われる「大乗起信論」(異説あり)
 龍樹
 提婆

 仏教徒のクラス分け→菩薩乗(利他の精神の仏教徒)、独覚乗(哲学者)、声聞乗(「声を聞くもの」)
 大乗は独覚や声聞たちを小乗仏教の徒とみなしていた。
 活動性(vitality)可変性すなわち刺激に対する反応性こそが、活動性を示す最も基本的な特徴
 励起された始祖の精神を、汚染されたり堕落したりしないようにきわめて慎重に護る

 想像力は創造し、知性は弁別する。弁別なき創造は放縦であり、創造なき弁別は不毛である。

「宗教の恒久的要素は、人の心の最奥に秘められている神秘的感情から起こるものであり、主にその感情によって構成されている。そしてその神秘的感情が目覚めた時には、人格の全体を揺さぶって、大きな精神的革命を引き起こし、ついには人の世界観を全く変えてしまうのである。この神秘的な感情が知的な言葉で表現され、その概念が形式化された時、それは明確な信念の体系となる。普通それが宗教と呼ばれるのだが、正しくは教条主義すなわち宗教の知性化された形と呼ぶべきである」

業 「この世に単一の原因によって生じるものはなにもない。世界のあらゆる存在は、いくつかの因と縁(条件)の組み合わせから生じてくる。そしてそうやって生じてきたものは同時にまた、将来、結果を生み出すための活動力になる」

無明 依存関係の連鎖=縁起。無明から行が起こり、行から識が起こる。識から名と形(名色)が起こり、そこから六処(六つの器官)が起こる。六処から接触(触)が起こり、そこから感受が起こる。感受から愛、愛から執着が起こり、執着から存在が生まれる。存在=有から生(誕生)が起こり、生から苦が起こる。これが縁起。

無我 精神活動の主体とされている自我魂(ego‐soul)などというものは存在しない。

涅槃 その二面性。つまりネガティブには煩悩の破壊、ポジティブには悲心の実践。一方があれば必ず他方もそれに付随する。
 涅槃は法身の人間化、すなわち「神の意志が、天国におけるが如く、この地に顕現する」
 涅槃は主観的、法身は客観的で、それは一つの原理の両面である。
 涅槃の教義の倫理的な適用がいわゆる黄金律に他ならないことは確かである。
 黄金律の心情とは、例えば
 「仇に報いるに徳をもってす」(老師)
 「憎しみは愛によってのみ鎮められる」(ブッダ)
 「他の人からされたくないことを他の人にはするな」(孔子)
 「人はたとえば自分に害を及ぼす者たちに対してさえも、悪行で仕返ししたり、悪行をなしてはならない」(プラトン)

 清浄と真実は虚空のようである。

法身 その語義は存在の身体あるいは存在のシステム。すべての個別現象の背後にある究極の実在。「宇宙は法身そのものの顕現」。単なる生命体ではない。法身は愛と知恵を持ち、それは法身の自己顕現である衆生の内にある。これは大乗の考え方であり、小乗では仏陀の人格を指すにとどまる。

 ここにあるものはそこにあり、
 そこにあるものはここにある。


第十三章の「涅槃」をまとめてみよう。

  • 涅槃を虚無的な意味には解さない。

  • 涅槃は「終息」「消滅」を意味する。

  • 「因縁によって生ずるものは自ら滅する」

  • 仏陀の最終的に獲得した悟り→四聖諦と十二縁起

  • 涅槃は積極的なものである。

  • インド人思想家たちは存在は悪、それは悲惨。悲惨を逃れるには存在の根を断ち切るしかない、と考えた。

  • 仏陀は彼らの教義の欠陥を見抜いていた。それゆえ、涅槃とは存在の完全な終息にあるのではなく、八正道の実践にこそあるのだと説いた。それは欲求の沈静化ではなく、生活が充足展開すること。

  • 涅槃を見たものは、悲痛の最中にあっても悲しまない。

  • 涅槃はきわめて広い意味を持つようになった。

  • そしてそれは、西欧世界に知られるようになった仏教にずっとつきまとってきた混乱と誤解を、一層助長するようになる。

  • そのうちの一つの意味を取り出して、涅槃を説明しようとするとき、それが涅槃の否定的側面であった。

  • 『成唯識論』の四つの涅槃の形態

①法身の同義語 本質として永遠に清浄で一切存在の真理と実在を構成するもの
②有余涅槃 なんらかの残滓をともなう涅槃
③無余涅槃 残滓が全くない涅槃
④無住処涅槃 しつこい知的偏見からも解放された涅槃

  • 涅槃という言葉は心理学的・存在論的にいくつかの異なる意味合いを含んでいる。

  • 龍樹『中論』「欲せず、得られず、止むことなく、止まないことがなく、滅せず、生じないもの、それが涅槃と呼ばれる」

  • 涅槃の四つの属性

①常 非物質的なもの
②楽 一切の苦を超えている
③我 いかなる強制を受けない
④浄 熱情と過失に汚されることがない

  • 涅槃と輪廻は一体 

  • 涅槃は何ら超越的なものではない

  • 涅槃とは俗世間の中において求められるもの

  • 仏陀は折衷的、融和的、総合的精神

  • 悲観的禁欲主義でも即物的快楽主義でもない、中道

  • 知性のない愛も愛のない知性も認めない。どちらが欠けても、最高の未知には到達しない。

  • 愛は知性を覚醒させる。

  • 「あなたはこの同情の病がどこから来るのかをお知りになりたいのですか。それは、一切を包含する愛から来るのです」

 と、ここまで読んで、佐々木閑の訳者後記を読むとまあなんとも言えないような事が書いてあった。いわく、鈴木大拙はこの本を復刊することを異常に嫌がっていて、それは実は、この本の内容があまりにも不完全で未熟である、ということを内外から批判を受け、多分自らもその通りであると思っていたからなのだった。世界的に高名なインド仏教学者のlouis de la vallée poussin(ルイ・ド・ラ・ヴァレ・プサン)からの真っ当な批判は、確かにその通りであるし、大拙が大乗仏教を恣意的に理解把握している証左は数多ありそうで、ここまで読んできた読者は失望するかもしれない。しかし、西洋に仏教・禅を広く知らしめた大拙の功績は消えるものではないし、大拙が表した思想は「現代に生きる新たな宗教」として大いに価値はあるので、未来の読者から「そんなにがっかりしなくていいですよ」と言ってあげたい気持ちになります。

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