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読書ノート 「いま『こころの古層』を探る」 河合俊雄
正式名称は「心理療法家がみた日本のこころ いま『こころの古層』を探る」です。
河合俊雄のエッセイ風論説。近年の精神病理の傾向やこころの課題が平易かつ率直な語り口で書かれており、ああ、誠実な人なんだなあと思う。
ただ、河合隼雄に比べると(と、こうして比べられることが大変なところだが)ユングで言うところの外向性・内向性の部分で、父親より内向的なパーソナリティーなのかもしれない。
わが家でいうと父と兄の関係に似ている。焼け跡派の父と、高度成長、共通一次世代の宏一が世間(世界と言い直してもいい)との関わり方に違いがあるように。
世界を再構築していくという気概が必要であった時代と、汗水たらして出来上がったその世界を繋いでいく立場の違い。しかし後者は、実はこの獲得された世界に瑕疵があることに気づいてしまったときに生まれる病理を背負い込んでしまう羽目になるのだが。
河合俊雄によると、ここ40年の日本における心理臨床の主な症例は、対人恐怖症から境界例に移行し、それが1990年代に下火になり、その後解離性障害が増え、現在では発達障害が一番多くなっているそうだ。
この短い間にもどんどんと変化するということが、すなわち社会も急速に変化していることを現しているのであろう。そしてそうした変化に加え、河合は社会的危機によって、こころの古層が吹き出す現場に出会うことになる。
東北大震災が与えたものと同じように、新型コロナウイルスによるパンデミックもこころに大きな影響を与え、閉じ込められていたこころの古層(それは科学的・理論的でない、無意識的な情動であったりする)が現出することを予想している。
本文では、クロノスとカイロスの時間軸、易とコンステレーション、巡礼の重要性、場所の力と心理療法など、こころの古層に関して的確なコメントが続く。
参照される学者として中沢新一も数多く登場する。対称性の論理が、私にしてみれば懐かしいが興味深い視点として取り上げられ、思考の隣接性が認められる。
夢については第6章で取り上げられ、夢の再発見、歴史性、中世における夢、現代の解釈と共有について述べられる。
夢とバーチャルリアリティについての考察がなされ、現代においては夢について語ることの垣根が低くなってきており、それはSNSやインターメットのなかのバーチャルリアリティの世界に親しむ人が増えたことが理由であるとする。
さまざまな神話世界から素材を取り入れつくられるその世界と、ユングの「赤の世界」には共通する部分も多く、というかその取り込み、流用には違いはなく、ユングは自分のバーチャルリアリティの世界を研究していたとも言えてしまう。夢への抵抗が低くなる、というのはすなわち夢と現実の垣根が低くなるということであり、果たしていいことなのだろうか。検討すべき課題である。
日本においては中世の夢が重要と考えられる。中世は、前近代の心性を受け継ぎつつ、近代的なあり方の基礎が作られた時代で、しかも日本特有のものが形成された時代である。
『宇治拾遺物語』、九条兼実『玉葉』などで多くの夢が登場する。そこでは夢はコミュニティで共有され、現実と直結する側面を持ち、更に意識的に操作もされていた。
現代において重要なのはその共有の仕方とタイミングである。その意味で、異世界の物語やゲームはある種の役割を果たすかもしれない。
夢作業とは願望を直接に示すのではなくて、意識の検閲を受けるために「圧縮」や「置き換え」のメカニズムによって歪んで現れてくることを指摘する。
ユングにおいては夢の補償作用、象徴化が大切になる。こうして常に媒介されて現れる夢のイマージュをどう捉えるかが時代を超えたテーマであろう。
わかりやすい語り口と、その主張に首尾一貫性を持つため、河合の言説に注目している者としてはなんだか同じような内容だなあという印象を持つが、再読を始めると、一筋縄ではいかないテーマが多くあり、より深く考えることを求められるように感じる。
また多様なテーマを簡潔に過ぎるスタイルで書き留めているため、初学者には少し難しいかもしれない。わかりやすいのに実はむずかしいのだ。
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