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世界を、構築する、構築したものを描写する。④ガストン・バシュラール「水と夢」1

 我々の精神が所有する想像能力は、極めて異なったふたつの軸に沿って展開する。

 ひとつは、新しさを前にして躍動しはじめる、つまり絵画性、多様性、予期しない出来事を楽しむのだ。この能力によって活発になる想像力は、描かねばならぬ春を常に持っている。自然において、われわれから遠く離れたところで、この能力は、すでに生き生きと花を育てているのだ。

 他のひとつの想像力は、存在の根源を掘り下げ、原初的なものと永遠的なものとを同時に存在のなかに見いだそうと望んでいる。これは季節と歴史を支配している。自然において、われわれの内と外で、この能力は、形式が実体に嵌まり込み、形式が内在する芽を育てているのだ。

 ただちにこれを哲学的に表現するならば、形式的要因に生命を与える想像力と物質的要因に生命を与える想像力、あるいはもっと簡単にいえば、形式的想像力と物質的想像力との二つに区分されうるであろう。

・・・両者を完全に分離することは不可能でさえある。


 われわれは夢によって苦しみそして癒える。


 カロン(三途の川の船頭)のコンプレックス、

 オファーリヤのコンプレックス


 鏡から始める詩人は、もし彼が完全な詩的経験を与えろうと望むなら泉の水まで到達しなければならない。


 水の心理学の最も単純な諸特性・・・それはさわやかさである


 では小川の性的機能とはなんであろうか?それは女性の裸形を喚起することだ。・・・白鳥は文学において裸の女性の代用物である。


 深い水を前に君は君のビジョンを選び取ることができる


 我々の魂の過去は深い水なのである。

 

 魂もまた非常に大きな物質なのだ! ひとにはとてもそれを見つめる勇気はない。


 エドガー・ポーを理解するためには、詩や短編を含む、決定的瞬間に、との総合を行わなければならない。形式出来事実質のこのような総合は、哲学者には人工的で不可能と見えるかもしれない。とはいえこれはいたるところに伝播しているのだ。もしひとが愛するならば、すぐに感嘆し危惧し保護するものである。夢想においては、形式と未来と物質に命令を下す三つの要因が分離できないほどうまく合致している。エドガー・ポーのような深い場所に位置する夢想家は、それらを同一の象徴力のなかに集めたのである。


 死とは最初の大航海者ではなかっただろうか?


 現実においては全てが語り尽くされることはなく、人生は鎖の輪を飛び越しておのれの連続性を隠している。小説においては語られることしか存在しないのであり、小説は自己の連続性を示し限定作用をくりひろげるのだ。小説は作者の想像力が明確に決定され、人間性の強い限定作用見出す場合にのみ力強くなる。限定作用はドラマにおいて促進し倍加するゆえに、作者が最も自己を啓示するのは劇的要素においてなのである。

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