隙あらば言葉と生きていく

それはぼおっとしてると不意にやってくる。だからなるべくぼおっとしないように心がけてるが、しかし気づくとぼおっとしてる。っていうかぼおっとし終わってる。時すでに遅し。「ぼおっとする」ってのはそういう性質のものだ。

そしてまた見事に、ぼおっとテレビを見てた。画面の向こうでは、本に司書のお姉さんへの手紙を挟んで返却する女の子、そしてその返事を本に挟んで貸し出すお姉さん。ハートウォーミングである。交流を深めるうち、女の子が聴覚に障害を持っていることを知って手話を勉強するお姉さん、最後には「本っていいよね」なんて手話で二人語り合う。よかったなあ…


”言葉と、生きていく。”

はっ…!!

”聖教新聞”

やられた!聖教新聞だ!またしてもしてやられた!油断してるとくるんだ、聖教新聞は。なんのCMかも考えずにぼおっと見てるといっつもこれだ。なんなんだ、この聖教新聞の「ぼおっと見せ力」は。ちくしょう、なにが「ハートウォーミングである。」だ。そんな感想自体がぼおっとしてた証拠だ。

これ以上聖教新聞にしてやられないためにも、ちゃんと聖教新聞のCMを見抜く目を養わないといけない。まずおおまかな特徴をちゃんと頭に入れておくことだ。

・ストーリー仕立て
・いわゆる「いい話」で、「言葉」がテーマ
・芸能人が出てない(マチャミとか出てたらむしろ絶対に違う)

とりあえずこんなもんか。ただこれだけだとACと混同する危険性もある。その辺は難しいが、もうセンスだ。公共広告機構感のなさを嗅ぎ取るセンス。オチがなさそうな気配を察知するセンスと言ってもいいかもしれない。それを磨くことだ。



ぼおっとテレビを見てた。部活帰りに女子生徒が吹奏楽部の部室の窓を見上げると、男子が一人残って練習している。リズムが走ってるのを顧問に注意された吹奏楽部の亀井くんだ。さて翌日、練習時に亀井くんが楽譜を開くとポストイットが一枚貼られている。

”ここはあわてずに。”

ハートウォ…いや、聖教新聞だ!

”言葉と、生きていく 聖教新聞”

見たか。ついに体得した、聖教新聞のCMを見抜く能力を。もう聖教新聞にしてやられることはない。しかしこのCMってなんのためにやってんだろ。イメージ戦略云々っていう次元のものじゃない気がするけど。まあとりあえず視聴者の無駄な成長のためじゃないことは確かだな。

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