力は遅いし頼りない

「音楽の力ってすごいなって思いました」っていうのは割とよく聞くコメントだ。こないだなんかそのものずばり「音楽のちから」って特番やってたし、その番組中でもやっぱ言ってた。で、それを聞くたびになんだかしっくりこないというか、「そうでもない」って気がしてくる。

いや、確かに音楽すげえなって思うことは自分にもある。ただその時の鳥肌と「音楽の力って…」っていう月並みコメントの温度がどうも噛み合わない。根本的な問題として「その話をしてる時にはもう演奏が終わってる」っていう当たり前のあれもあるけど、それを差っ引いてもなんか違う。

「音楽すげえなって思うことはある」ってのがちょっと嘘なんだな。何か音楽を聴いて鳥肌立ってるような時に「音楽すげえ」って脳内で言語化してるかって考えたら、それは怪しい。「その時」の「それ」はもうなんかそんなあれじゃないだろう。あれだのそれだのばっかりになるのもしょうがない。音楽に比べると言葉はずいぶん遅い。捕まえようと思ったらこれはもう大変なわけで、演奏後に「音楽の力が…」なんてもうまったく話にならない。大脳新皮質丸出しだ。

さて…これ伝わってんのか?まあいいや、ここは信じよう、「言葉の力」を。これもよく使われるな。そしてこれもやっぱりしっくりこない。「言葉の力を信じてる」とか、「コトバのチカラを信じてる」なんて片仮名にしちゃったりとかしてな。どうなんだろう、ほんとに信じてんのかね、これ。

「言葉の力を信じてる」っていう場合、先立ってなんか言葉があるわけだろう。文章か演説か詩かなんかが。それはそれでうまくいくといいね、うん。ただ、その後の「言葉の力を信じてる」っていう言葉の弱々しさはどうなんだと。聖教新聞の広告みたいな文句だ。ほんとに信じてるならなんでこんな頼りない補足つけるんだろう。

さあ、ここまで色々言葉を尽くしてみたわけだが、どうだろう。「言葉の力」発揮されてるだろうか。ただ言葉尽くせばいいってもんでもないだろうしなあ。俳句がいい例で。なんなら実は一言で済んじゃったりする場合もある。例えばこの文章の場合、この一言で済むかもしれない。

”ごちゃごちゃうるせえ。”

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