後ろから前から

「犬に服なんか着せて」っていうセリフを最近あんまり聞かない。十数年前くらいにはよく耳にしてたような気がするんだけど、それ自体が気のせいなのか、それとも「犬に服着せる」が市民権を獲得していく歴史を身をもって体験したってことなのか。

いずれにせよ、犬に服を着せる行為はもう当たり前なんだろう。別にそれはそれでいい。それこそ「犬に服なんか着せて」なんて言う気はさらさらない。着せたきゃ着せればいいし、着せたくなきゃ着せなきゃいい。犬飼ってないし、いまんとこ一生飼わない気満々だから、もし自分だったらと考える気も起きない。ただ、少し不思議だなと思うことがある。

例えば、横断歩道を渡ろうと信号を待ってる。自分の前にはチワワ的な小型犬を散歩中のマダム。プルプル震えるちっちゃい犬はもちろん服を着てる。服を着せるっていう行為は犬を自分に近づけるためにやるんだろうか。犬を「うちの子」って呼んだり、「エサ」っていう表現を使うのを嫌ったりするのと根っこは同じなのかもしれない。自分が服を着てるんだから、この子も当然服を着る。でもどうだろう。特にこうして後ろから見た場合。

肛門が丸出しである。問題はそこだ。犬を出来るだけ人間と同じように扱うことで親しみが増す、「ペット」が「家族」に近づく。それはわかる。ただ、犬の服ってのは大概下半身裸だ。それはひとえに排泄のコントロール問題によるものだと推察する。となると、犬の服はその肛門丸出しっぷりゆえに結局一周回って動物であることを強調しちゃってないだろうか。下半身裸の服がいかに人間っぽさから遠いかは、下半身裸で外を歩く人間を想像すればわかる。

服着た犬の肛門を後ろから眺めながら「犬だなあ…」と感慨にふける。しっぽ立ってたりなんかすると、もうほんと身も蓋もない。なんて犬々しいんだ。ただまあ飼ってる方からしたら、んなことどうでもいいくらいかわいいんだろうな。それでいい。ここで肩をたたいて「おたくのワンちゃん、肛門が丸見えですよ?」なんて言ったら、それはもう下半身裸で歩くのと同じだ。だから黙って信号を待つ。人間だもの。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?