私と写真の今までを思う夜

または私に影響を与えた3人の写真家と、noteを始めた理由

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写真と真剣に向き合い始めてから3年。
自分だけのカメラを手にしてからもうすぐ2年半。

表現面でも技術面でも
写真は分からないことばかりです。

わかっているのは、写真が私をよりよく表現できる方法であること。写真が世界を美しく見せてくれること。

写真を始める前、私は物語を書いていました。
文章を書くのは楽しかったけれど、他者の評価や周囲のレベルの高さに疲れ、苦しくなっていました。

高校生になり、写真部に入りました。
きっかけは大好きなディズニーの風景やショーを自分の手で美しく記録に残したいと思ったこと。

でも以前から写真展に足を運んでいたし、写真部に入ろうと心のどこかで前から決めていた気がするので、他にも色々と理由はあったのでしょう。

そうして初めて一眼レフを触ってから、技術を学び撮影を繰り返す後、写真そのものにハマっていました。

はじめて撮影者の名前を意識した、つまり写真家のことを考えたのは、写真を初めて1年。
北海道の風景写真で知られる高橋真澄さんの写真集「光の旋律」を見たときです。

その中の、日の出か日暮れの青い池の写真。黒と白のコントラストがはっきりして、木々の造形が美しい写真。

あの写真を見てから、写真への向き合い方、美しさの考え方が大きく変わりました。

さらに約1年後。
アキラ・タカウエさんの写真と出会いました。
アーキテクチュラル・ファインアートフォトグラフィーの第一人者です。

最初に見たのはつくばの写真です。
雷に打たれたような衝撃を受けました。

全くこんな表現では足りないけれども、
「かっこいい」とただ一言が心に浮かびました。

ほぼ同じころに出会ったのがENOさんの横断歩道と傘の写真。ENOさんはデザインと写真の融合のような写真を撮られています。(表現が合っているか不安)
これもまた上手く表現が出来ませんが、「グッ」という音を自分の中に感じるくらい惹かれました。

この3人の写真家と出会うことで、私が写真に込めるもの、私が美しいと思うものについてよく考えるようになりました。そして私と写真の関係に1つ結論を出しました。

私が写真を撮る理由は、目の前の美しさを思い出せるようにしたいから。美しいと感じた気持ちを忘れないようにしたいから。

その気持ちに、今の私自身や感情、経験が重なって、その時その時の写真が撮れる。

だから世界の美しさを教えてくれたのは写真で、
私をいま1番表現するものも写真です。

それはきっと物語を書いていた私が掴もうとしていたものと同じでした。

同じだったからこそ、今こうして文章を書いているのだと思います。

写真も文章も私の人生の味方です。

郁海ちか

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