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建築旅行記1992年1月26日(日)

引越しの荷造りしていたら、1992年に書いた「建築旅行記」が出てきた。
僕が建築を志して間もない頃、色々な建築を見に行くと決意し、このノートを作成した。
このノートにはその時の自分の思いと第1回目として登呂遺跡に訪問した感想がつづられていた。
面白かったのでここにテキストと写真を載せてみることにした。
この時、たまたま白井晟一の石水館に出くわし、感動した思いは忘れられません。
若干21歳のつたない文章のまま載せております・・・。

「建築旅行記」
建築旅行すなわち、建築を体験するための旅である。やはり雑誌の写真のみでは、さほど印象に残ることが少ない。実際、建築を見てそれを理解してみる、という体験をしなければ建築について語ることはできない。
そしてこの旅行は、僕自身の建築というものに対する心、そして自信を身に着けるためのものでもある。
あまり建築を考えながら見るのではなく、目や、鼻や、耳や、口や、皮膚や、精神的な面からも見ることが大切であり、それが真実なのだ、ということを前提にしておくことが必要である。
それぞれの旅が素晴らしきたびになることを僕は祈る。
1992.01.25

「第1回 登呂遺跡」
“出発前”
今は、出発前の1月25日(土)午後11時である。
もう明日のためにねるだけだが、今回、登呂遺跡を選んだのは・・・ま、はっきり言って建築とは言えないかもしれないが・・・しかし、そこには日本最古の住宅の形式があり、いわゆる竪穴式住居である。そこではいかに人が生活をして営んでいたのか?など、本当に人間の本能というもの、人の生活とは何なのか?そして住宅とは?この最低限の生活のしていた遺跡こそ、今、ものが豊かになっている今にこそ、忘れかけているものがあるかもしれない。でも無いかもしれない。
そう、まったくのムダ骨になるかもしれない。
でもそれはカクゴしている。
だがしかし、必ず何かをつかんで帰ってきたい。
それではもうねます。
あしたはよき旅の日となりますよう、祈っております。
おやすみ。
1992.01.25(土)

“旅行後記”
お疲れさん!!
いやぁ自分が五体満足、帰途できることができたことがとても嬉しい。
はっきり言って、自分ひとりでしかも車で静岡なんて遠い所へゆくのは初めての経験で・・・。
登呂遺跡よりも行き帰りのことでいっぱい悩んでしまった。
行きはR150で通って(海でもながめながら・・・)いこうと考えていたが、とんでもない!海はみえへんし、駅伝(浜松から吉田までやってた)は、やっとるし、もう大変でした。
帰りは帰りで、上を使ってきたが、トラックのにーちゃんにいびられながらきてしまった・・・。佐野さんのスローソングスで盛り上がろうと思ったのに・・・。
これらのことはさすがにまいったが、全て人生の道にたとえて車を走らせていました。
「思ったようにはうまく行かん。何らかの障害をのりこえて、先へすすめるのだ。」と。
そんなわけで、登呂についたのは3:00すぎ、4:30までいました。なかなかおもしろかったです。

竪穴式住居は、思ったより広くて大きかった。
どのように住んでいたかは・・・考えてみれば(中へ入って気付いたのだが)テントの要領と同じである。
まん中に炉があって・・・。
考えてみれば住宅なんてそうである。別にひとりひと部屋なくてもいいんだし、便所はそこらへんですれば肥料になっていいし、フロだって水で体ふけばいい。
よーするに、衣食住なんだろうね。それは一室でまにあう。ということだ。
だが現代ではそうはいかないのは、物質があふれ、技術や知識が増え、そして人間個人の欲求がかなり通る時代である。
しかしそれは古代の暮らしからみれば、理想の暮らしであり、人の暮らしそのものは常に・・・そしてこれからも向上していっていることである。
が、それ反対に物質があふれすぎるという事となると、人の欲が増長し、ごうまんさがぶつかりあい、それは人のみにくい部分であり、少なくせねばならないことである。
だから古代の生活と現代の生活は、どちらが人にとって真実なのか?ということは無いものであり、これからわたしたちが気をつけてゆくべきことは、すなわち古代にみられる最低限の生活を常に忘れることなく、物に心をとらわれずに生活を向上させてゆくかということなのではないだろうか?

登呂遺跡には、竪穴式住居と高床式倉庫の復元建築がある。構造的には簡素なものであるが、非常に美しい外観を感じた。
竪穴式住居の入りもや屋根・・・その屋根自体が地上から、そして地上に支えられてひとつのまとまりをもっているその美しさ。
高床式倉庫は今でいうピロティ的な柱で建物自体を支える美。斬新な切妻屋根。これもひとつのまとまりをもっている。どこをつけても、とってもおかしくなくなってしまう部分がある。

竪穴式住居スケッチ


高床式倉庫スケッチ



余談になるが、敷地内の美術館は素晴らしく感じた。
とてもよくまとまっていて、ぼくに意外性(刺激)と、そのふんいき、そして落ちつきを感じさせてくれた。

石水館スケッチ

非常におもしろい旅であった。自分ひとりで考え、感じ、そして行動していったことなのですが、満足できた。3ヶ月に1回といわず、1ヶ月に1回にしようと考えている。やはり現地に行き、体で感じるのと、本で目で感じるだけではだんぜんの差がある!それは断言できますね。

それでは、第1回建築旅行「登呂遺跡」の巻は、これで終了します。
次回は、寺社建築、または弥冨の町並みなどを考えています。そのへんはまたぼくの興味の示すところになるので、よろしく。(って誰に言ってるのやら)
次回までにぼく自身、健康そして良きインスピレーションでありますように。そう祈りつつ、終了させて頂きます。
どうも、ありがとうございました!
1992.01.26(日)おわり

以上、残念ながら、この旅行記は次の2回目で終了しておりまして(笑)、2回目は予定だけ書いていて記事を書いていませんでした・・・。

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