見出し画像

やりたいこと。

色々模索してた。
この二、三年、行きたいイベントがあると、とにかく時間が合えばでかけていった。そこで、特に知り合いがいるわけでもないし、団体も特定なわけじゃなく掛け持ちでジャンルも様々だ。デモにも初めて参加した。とにかく色んな興味があることに関して出かけていって、五感で感じることを大切にしてきた。

世界におけるこの日本の立ち位置もわかるようになった気がする。3、4年前くらいの僕は何も知らなかったのに。というか興味がなかったから、知ろうともしなかった。それまでの僕はかなり利己的だった。なんで今こうなったのかは自分の経験…とんでもないことを自らやらかした僕は心を入れ替えることが出来た…と自分でも思う。それも全て妻のおかげであり、決してなにかの本を読んだとか映画や音楽に出合ったとかではない。

もちろん、それを期に様々な書籍や映像を読んだり見たりして来た。福澤諭吉の「学問のススメ」を読んで勉強することがいかに大切かを学び、テレビで「映像の世紀」を見て難民の現実を知り、中村哲さんを知り、人間の真心とはなにかを知り、仏教に出会い、宗教の必要性を知り、他にもたくさんのモノに触れてきた。そして、僕は自分は本当は何がしたいのかをじわじわと感じるようになった。

そもそも僕は少年期、ほとんど自分の意志を明らかにせず抑え込んで暮らして来た。うまく人に自分の考えを伝えることができなかった。家族にも友達にも誰にも心の内を話せる人はいなかった。小学生までは、なにか聞かれてもすぐ答えることが出来ず、泣いていた。泣くことでその現実から逃げていたのだ。いつも心の何処かで、誰かが導いてくれるだろう、泣いていれば誰かが助けてけれるだろうと思っていた。なんて卑怯な性格で、心の乏しい人間なんだと自分で思っていた。

そんなことだから、高校卒業後、就職する先は親父のコネで就職して、自分の努力も意志もく社会人となった。社会に出て、たまたま始めた建築設計が、好きになり、もう30年以上続けられている仕事となった。なぜ好きなのか、それは施主と一緒になって考えて抜いて描いた図面をたくさんの人で作り上げ、最後に施主に喜んでもらうこと、そしてそれが僕の一番の喜びになっているからである。

長くなったけど、結局、僕がしたいことは、好きなことを描き、それが誰かの喜びにつながって自分も喜びたい。それだけのことなんだと。今は企業の中で、なかなか自分のしたいことは出来ないんだけど、そんな中でもやれることはある。そして僕はもう後継者を育てていかなければならない立場にもあり、若い人たちに自分の持っているこういう喜びを、伝えていきたい、体験してほしいと強く思うようになった。

そして、やりたいことって考えて見つけるもんじゃなくて、もう、居ても立っても居られないくらい、うずうずしてくるもんだと思うし。やりたいこと、うずうず感じたらやっちまおう!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?