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新宿西口地下広場

NHKBSで再放送していた番組「声は届くのか」を録画で見た。
1969年のフォークゲリラの映像とその当時発信をしていた人たち、受信していた人たち、そして今の若者たちをフォーカスした番組。
元々はベトナム戦争の反戦をフォークソングで訴える若者数人ではじまった集まりが、徐々に人を集め、おおきな集会となった。毎週土曜に決まった時間ではじまり集まってきた人たちの姿、私がこれまで印象があったのはフォークゲリラというくらいなのでギターを持ってみなで歌を歌う姿だったのだが、この映像ではその歌の集会が終わった後で、世代を超えた人たちの議論している姿が新しい印象になった。
なぜこのような集会が、なぜこの場所で自然発生的に生まれたのか、それはこの広場の持つ開放性がとても重要な要素ではないかと思った。
坂倉準三が設計した新宿西口地下広場。ロータリーに向かうとそこは地上とつながった開放的な空間があることが、ここを広場として人が集まりやすい効果を自然と発揮することに至ったのではないかと思う。もし、ここが閉鎖的な地下空間だったらこうはならなかったのではないかと思う。もちろんこれは坂倉準三の設計の主旨そのものであろう。
この集会はやがて警察機動隊によって排除されてしまうわけだが、それから集会が出来ないように広場でなく通路と名称を変えさせられてしまった。
番組に出演した吉岡忍さんは「(今、日本には)1ミリも、人が集まれる空間がない。」と言い切る。
「そこにぺたんと座ってね。空ながめてもいいし、こうだよな、こんなことしてきたよなとかいうふうな話をできる空間っていうのが必要なんだよね。“広場”を全然日本は大事にしてこなかった。」
「(僕らは)こじあけて広場を作ってきた。それを今の若い人にやってほしい。」
今、その新宿西口広場は残念ながら再開発で失われようとしている。
今生きている人達の手で、新しい広場をつくっていかければばらない。そう思います。

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