秦の始皇帝② 〜誕生〜

こんにちは。なかむらともやです。

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さて前回から紀元前259年の秦の始皇帝時代の話をしているのですが、今回はのちの秦の始皇帝になる「政」の出生までのドロドロした人間関係について書いていきます笑

なぜドロドロしているのかというと、実は政(始皇帝)は実の父が定かではないのです!

どういうこと!?ってなると思うのですが、私もそう思いました笑

当時かなり複雑なことが起きていたのです。

まず政が産まれる前段階として3人の重要人物を紹介します。

1人目が呂不韋(りょふい)

彼は秦の商人でした。呂不韋は大金持ちでのちに丞相になります。丞相とは今の日本で言う総理大臣的な存在です。つまりめちゃめちゃ偉いって言うことです!

2人目が趙姫(ちょうひ)

彼女は呂不韋の妻で今の日本で言うと安倍首相のご夫妻である昭恵夫人にあたる人物です。

そして3人目が子楚(しそ)

彼は生い立ちがかなりみすぼらしく、王の器ではないと言われていましたが、呂不韋に可愛がられ、始皇帝の前の秦の王になります。今の日本で言う天皇にあたる人物です。

この3人に何があって政は生まれたのでしょうか?

事の発端は呂不韋が子楚と過ごしていた時でした。

子楚がいつも通り呂不韋に教えを受けていた時、彼はハッと1人の美女に目を惹かれました。

そして呂不韋に「あの美しい女性と結婚がしたい」

と言ったのです。

実はその美女こそ呂不韋の妻、趙姫だったのです!

呂不韋はどうしたか?

そう彼は趙姫を子楚に譲り、2人を結婚させたのです!

自分の立場をより強固にするために。

子楚は趙姫に純粋な愛があったのですが、呂不韋は自分の立場を優先してあっさり身を引きました。なんとも狡猾な男でしょうか!

そして子楚と趙姫の間に生まれた子が政である!と言われていますが...

実はここからが面白いのですが、

子楚が趙姫と出会った時すでに趙姫は妊娠していたと言われていたのです!

ここが最も面白いのですが定かではないのです。

もし今書いたことが本当だとすると、政は呂不韋の子供である可能性が出てくるのです。

実は史実ではここが曖昧なため、冒頭に私が言ったように政はどちらから生まれたかわからないと言うことなのです。

政が中華を統一するまでにこんな面白い誕生秘話があったんですね!

次回は政の波乱万丈の人生の最初を書いていきたいと思います。

読んでいただきありがとうございました。


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