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日本人に宗教的感覚が根付かないワケ

こんにちは!ノノカです!

今日はポカポカ天気なのでこんな日は外に出たくなりますね♡
ちょっくら走りに行ったら気持ち良さそうだな〜思っています。

さて、今回は日本人の宗教観に関してお話しします。
あらゆる教養の土台となる宗教ですが、「宗教の話?いや、私はちょっと...」と腰が引けてしまう人が多いのではないでしょうか。

日本人の多くが自分は特定の信仰を持たず、無宗教であると回答していると言う統計もあります。

無宗教

実際、ここ日本で日本人または日本に慣れ親しんだ人と暮らす中では、この答えはごく自然に受け入れられるものでしょうし、何不自由なやり過ごせるかもしれません。

しかし、外国人がいる場でこの発言をしたら、相手はよほどの日本通でない限り間違いなく違和感を抱きます。それは、「私は善悪の区別もできない、非常識な人間なんです」と発言していると受け取る相手も世界には少なからずいるのです。

では、なぜ日本人にはこれほどに宗教的感覚が根付いていないのでしょうか。
日本の宗教的偏差値が低い訳には大きく3つあると考えます。

1.地理的な理由
世界5大宗教のうち、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つは中東が発祥ですが、中東で生まれた宗教が日本に伝わるには、かなりの距離があります。残る2つのうちヒンドゥー教と仏教はインドで生まれ、日本には中国経由で仏教のみ伝わりました。また、島国であるため世界の宗教を信じる他民族と宗教をめぐる大きな争いもありませんでした。
日本的な宗教間・価値観でこれまでやってこられたのです。

2.神道があり、その上で仏教を受け入れた
仏教が日本に伝来したのは6世紀半ばとされていますが、当時の日本には神道という文化がありました。
この神道というものは、自然崇拝がベースになっているため、イエスやムハンマドやお釈迦様のように開祖もいなければ、聖書やコーランのように教えを統一するものもなかったのです。
"宗教"を意識することなく八百万の神様を信じ、その上で仏教を受け入れたのですから、曖昧になるのも納得がいきます。

八百万の神

3.江戸時代の壇家制度と明治以降の国家神道
16世紀に入るとキリスト教が世界的な布教活動を開始しましたが、日本では豊臣秀吉や徳川家康が布教禁止としたため、全国民が仏教徒としてどこかのお寺に属することになりました。
この壇家制度は、政府や藩の行政組織として機能しやすくするための政策に過ぎず、仏教本来の宗教的側面は失われてしまいます。

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明治時代には、その仏教も一時期弾圧され、天皇を神とする国家神道となりました。

第二次世界大戦後終了後、それらがすべて否定される一方で、一部の新興宗教の犯罪や不祥事に関する報道により「宗教には近づかない方がいい」という意識が高まりました。

このようにして日本は宗教偏差値が最低レベルの国となってしまったのです。

しかし、日本への外国人観光客の数は急増中であり、加えて外国人観光客の日本の宗教への関心が高まっていることは確実であり、外国人観光客に日本の宗教について話ができるようになれば、人間関係の構築も進み、宗教的偏差値も上がるのではないでしょうか。

次回は世界5大宗教の基礎の基礎についてお届けします。

stay home! be good to yourself!



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