高校サッカーの思い出

1年生は狭い部屋に30人以上がいてキツキツの状態で入部した!
あっ部室の話です

まず挨拶、応援練習をするのに朝学校始まる前に校庭で校歌とサッカー部の応援練習を毎日することからスタートした!
これは正直嫌いでなかった。

1番大変だったのがボールの管理である。
基本的に30個ボールを出すが30個ピッタリあった時はほぼない。僕達のゴールの裏には斜めになってる山がありそこに基本的に落ちている僕たちの中では山狩りと呼んでいる
山には犬、ウシガエル、うさぎ、たまにラジオかけてるおじさん、夏は蚊が多く熱く冬は寒くて地面がゆるい。
1時間探すこともあったりした。山狩りは部活終わりの空腹と疲れの中で求められる鋭い視力が問われる戦いでもあった。

理不尽な事も先輩に言われて嫌だった思い出もある。その中である日先輩が言った言葉がある単刀直入に言うけどお前ら坊主にしてこい

という突然の坊主など今考えてみると面白い
夏合宿では、1年のルールは厳しいバスの中で寝てはダメで携帯もダメで喋るのもダメというただただ地獄のバス
そんな中自分は寝て良いと言われて寝たら翌日怒られました。先輩から言われた言葉
坊主だからってなにしても良いと思うなよ。
格上と試合して負けてダッシュ勝ってもダッシュ帰りも走りっていう合宿もあり辛かった。
そして毎年行われる平工業選手権激励会という名のカレー会という名の地獄
カレーをひらすら食べるという1年生にとっては地獄カレーは見たくないという。
1年生はダサい服を着なくてはならないその名はネームT白シャツに名前をでっかく書いてあるシャツを着る。1番恐れているのはソックスを忘れた時冬は長ズボンを履いて誤魔化すものもいたが夏は無理だから諦めるしかない
3年の夏のある日の事だった!
とても暑い日で昼に冷やし中華を食べのを今でも覚えている
手を骨折腕が逆に曲がってて正直痛くて死ぬかと思った神経に骨が刺さって全治2か月の怪我をした!
選手権まで2か月という状態だった
片手でしかも利き手であって箸もペンも全て右手就職試験の履歴書も対して書けなかった
まーとりあえずサッカーは諦めないで下半身トレーニングや自転車でのトレーニングを続けて復帰したのは9/3週目の長野の高地トレーニング遠征体力は無いに等しい上に標高1500メートルというなかなか地獄の合宿夏なのにベンチコートを着るという寒さ訳がわからない場所だったまー選手権まで2週間しか無かった。とりあえず医者からはやるなと言われたけど選手権戦うにはやるしかなかったサポーターとテーピングで手首を固定して毎日の練習、試合をした。
10月5日土曜日後半から出場ヒーローになってくるとベンチを去った2-2の接戦とりあえず相手の上手い選手が自分のサイドにいた。そして延長に入り自分はペナルティエリアで相手に足をかけた会場が沸いた主審はノーファールの主張で助かった
相手の監督がかなり焦ったし相手の監督が怖かった。
結局試合には勝ち次に繋がった!

サッカー部の監督には最後にこんな言葉がかけられた、我慢我慢って言ってきたけど好きな事やるのに我慢するのあたり前だから!これから先、もっと苦しい事や理不尽な事だらけだけど我慢してくことも大切だ!
引退して5年が経った今振り返ってみると、あの時の監督の言葉が胸に響いた。

そんな僕は今日も仕事へ向かう。

#高校サッカー #社会人