自分が擁護学校の高等部に3年間行って学んだこと#02

どうも花龍です。昨日のnoteの続きです。分からない方は昨日あげた、「自分が擁護学校の高等部に3年間行って学んだことプロローグ」を読んで下さい。さて、自分が入学した擁護学校の高等部には本校と分校が有り自分は分校の方に入学しました。分校は普通の高校の一部を借りている感じでした。そして場所は一言で言えば田舎。野生のリスが普通にいました。そして擁護学校には普通の学校にはない特殊な授業やイベントがありました。まずは「朝の運動」これは朝のHRが終わると晴れていたら学校の外周を10分間ランニング、そして雨の日は柔道場(自分達は武道場と呼んでいた。)に行って筋トレ。これは毎日やっていました。特に夏場のランニングは地獄なのです。学校の外周はかなりアップダウンが激しく10分間走ればめちゃくちゃ汗をかきます。だから自分はこの時間が嫌いでした。そしてもう1つ変わっているのが授業の内容。英語とか理科はなくその代わりに「作業」という授業が。これは4つのグループ(革工、木工、手工芸、環境)に別れて色々な作品を作ったり近くにあった畑の雑草を抜いたりするという授業でした。(他にも色々やっていましたが細かすぎるので割愛します。)そしてもう1つ変わっていたイベントが年に2回行われる「実習」これは春、秋の年2回やっていたのですが1年生の半分は近くの農場に行って木をノコギリで切ったり色々な農場の雑用を。そしてもう半分の1年生は教室にこもって封筒を作っていた記憶があります。記憶がかなり曖昧です。ごめんなさい。そして2年生になるとスーパーや企業などに1人で実習に行かされます。そして3年生になったら進路を決める感じです。自分は進路が決まったのが1番早かったので3年生の9月位には実習の地獄から抜け出せました。普通は11月とか12月に進路が決まるらしいです。そして1番特殊だったのは担任の先生が1年生、2年生の時は4人、3年生の時は3人いたこと。先生達も一言で言えば変わり者が多かったと思います。勿論いい先生もいましたが。そして分校(呼び方がめんどくさいので次からはこの呼び名で統一します。)に入った当初自分は1ヶ月で辞めるつもりだったので退学届を持ち歩いていました。そして1番仲の良かった先生に退学したいと告げた所「勿体ないから辞めるな。このまま辞めたら一生後悔するぞ」と言われて自分は辞める事を諦めました。まだ色々話はあるのですが今回はここまでにしたいと思います。ではまた。

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