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200522 難民×コロナ×ラマダン パレスチナ難民が過ごした特別な時間

 3月中旬に始まったヨルダン政府による行動制限は、新型コロナウイルス感染拡大の防止に大きな効果をもたらした。その一方、外出が制限されることで、難民の医療へのアクセスや経済活動は大きく落ち込んだ。この困難を乗り越える過程において難民達が見せた自発的な支援活動や宗教を通した団結は、彼らの未来に大きな可能性を示している。

コロナ×難民 外出制限の必要性

 パレスチナ難民の生活基盤は感染症に対して非常に脆弱だ。取材したヨルダンでは、居住地である難民キャンプや都市部の集合住宅地域の密集度が高く、社会的距離を取るのが難しい。現在の人口における感染者割合は日本の半分程度だが、一度ウィルスの感染が広がると終息が困難となるといわれている。

 また、コロナウィルスの対策の基本は感染者の早期発見・隔離・治療だ。それらを実現するためには、どんな状況下においてもすべての人が利用できる医療制度が必要になる。しかし難民の多くは逃げた先の国で市民権を得ることができておらず、医療費が保障されない。もともと経済的に豊かではない難民たちにとって、入院費用や検査費用の全額負担は金銭的にほぼ不可能だ。

 実際にヨルダンの隣国のレバノンでは、コロナウィルスの陽性反応が出ているにもかかわらず入院費用が払えない事例が発生した。レバノンは元々国家の経済情勢が悪化しており、国内の難民への金銭的補償は困難な状況にあった。この時はUNRWAが治療費を捻出したが、今後このようなケースが増えてくるとすべてに対応するのは難しく、ヨルダンにおいても状況は変わらない。そのため外出制限は彼らの命を守るために必要不可欠な政策だと言える。

外出制限が生んだ問題 光るボランティアの活躍

 しかし感染防止のための外出制限が発令されたことによって、持病があるため通院している患者の治療や妊婦の健診、子供の予防接種等の医療サービスも完全にストップした。UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の清田保健局長は「社会的混乱が発生したときに、真っ先に影響が出るのが社会的弱者の健康や生活である」と以前から警鐘を鳴らしていたが、まさに今懸念が現実のものとなっている。

 この厳しい状況下で活躍するのが難民自身によるボランティアだ。ヨルダンの首都アンマンでは、外出が制限された3月中旬以降すべての診療所が1カ月間閉鎖された。ヨルダンでは高血圧や糖尿病の患者数が多く、彼らは定期的に町の診療所に通って薬剤の提供を受けていた。患者にとって治療薬の供給がストップするのは死活問題だ。そこで住民たちが自発的にボランティア活動を買って出て、薬品の郵送のための住所聞き取りや配達を行って医師たちをサポートした。

 結果として、3月の地点で治療を必要としている難民は合計で8万人いたのだが、彼らの活躍によって4月末の地点で7万人以上に薬品を届けることができた。マスクやフェイスガードの着用を徹底していたため、医療関係者からウィルスの陽性反応者が出ることもなかった。4月以降は徐々に制限も解除され、完全予約での通院も再開した。指示されたわけではなく自発的にこのような動きが各地域で生まれたことは、人・コミュニティーの持つ底力がとても強く大きいものであったからではないだろうか。

ラマダン×コロナ 政教一体で呼びかけた「命を守るラマダン」

 都市封鎖が緩和され始めた4月下旬からは、イスラム教徒において1年間で最も重要な宗教行事であるラマダンが始まった。通常時は日没後多くの人で街はにぎわい、親戚やご近所の住民との宴会が執り行われるため、コロナウィルスの感染拡大のリスクが以前から懸念されていた。そこでヨルダンや他のイスラム圏各国政府は、「Fatwa」と呼ばれる宗教的見解をラマダン開始前に発表し、人々に緊急事態下の宗教儀式の指針を示した。

 Fatwaの中身は各国で異なるが、代表的な議題の3つをヨルダンのケースと共に紹介する。1つは病人の断食についてで、断食を行うか否かの症状別ガイドラインが示された。2つ目はイフタール(日没後の食事)の行い方についてで、夜間の外出禁止令を出して家庭内で儀式を行うように呼び掛けた。3つ目はタラウィーフ(モスクでの礼拝)の制限についてで、モスクを閉鎖し自宅での祈りを指示した。

 普段とは全く異なる宗教儀式となったが、「家にいること、距離を保つことが信仰心を示すことになり、施しにもなる」という見解を政府と宗教省がはっきりと示したため、予想されたほどの混乱は起きなかった。行動ルールも明確にしたことによって感染拡大を回避した点を見ても、素晴らしい対応であったといえる。実際にコロナ下でのラマダンを経験した女性に話を聞くと、「初めての経験ばかりだったが、普段の生活への感謝や人へのありがたみ、同じようにルールを守る同胞への信頼と団結を感じた」と語ってくれた。

1年で1番の繁盛期を失った打撃

 ただ本来は1年で最も経済活動が盛んになる時期であるため、観光・商業・工業においての経済的ダメージは非常に大きい。難民が就くことが多い小売業の多くは店が開けないことで給与の支払いがストップし、仕事を失った人も少なくない。難民たちは失業補償を得ることができないため、ラマダンの時期に入って更に生活基盤が不安定になったのだ。また、ザガート(施し)と呼ばれる貧困層への寄付や支援も、外出制限や生活難によって今年は催されない地域が多かった。

 結果として「命を守るラマダン」は、人々の団結によって成功を収めた。しかし社会的弱者である難民たちは、経済活動の停止のよって収入がなくなるという新たな困難にぶつかった。このことはヨルダンのパレスチナ難民に限らず、多くの国の貧困層にも同じことが言える。彼らを置き去りにしないよう、社会保障・医療政策などで包括的なサポートを行っていくことが望まれる。

 ウィルスは国境・人種・制度を超えて大きな被害をもたらしたが、これを乗り越えるためには同じく国境・人種・制度を超えた協力が必要不可欠だ。知識や物資が揃えば、難民たちは自ら考えて動き、行動を自制しながら生活を営むことができる。それが可能なことは、彼らが過ごした特別な2カ月間が示している。





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