柔術を始めればどんな人でも今の「3倍」は強くなれる話(前編)
こんにちは!かめきちです!
今日は私の趣味の一つ
「ブラジリアン柔術」
にまつわる記事を執筆していきたいと思います。
先に本記事の結論を持ってきますと
「柔術を始めれば誰でも必ず強くなれます」
これは間違いないです。しかも安心安全に強くなれます。
ちなみにタイトルの「3倍」に関しては特に理由はないです。
それではなぜ「ブラジリアン柔術」を始めると誰でも強くなれるのか?その理由を下記で執筆していこうと思います。
そもそも「ブラジリアン柔術」ってなに?
というところからですが
ブラジリアン柔術はかつて日本最強クラスの柔道家だった「前田光世」(まえだみつよ)氏がブラジルに移住した際にカーロス・グレイシー、エリオ・グレイシー(グレイシー一族の先代)に柔道を指南し、その技術をカーロス、エリオが更に実践的に改変し生まれた寝技主体の格闘技、それが「ブラジリアン柔術」です。
そんなブラジル発祥のブラジリアン柔術が一躍脚光を浴びるきっかけとなった大会が
「UFC」(アルティメットファイトチャンピオンシップ)です。
現在では世界最大規模の総合格闘技団体にまで成長した「UFC」ですが、大会開催当初はまだ現在ほどの人気はなく、知る人ぞ知る格闘技イベントというような存在でした。
当時、総合格闘技(要すればなんでもあり)の大会は公式には開かれておらず、明確なルールも規定もない時代でした。
そんな中、開催された「UFC.1」第一回UFC大会において世界中のキックボクサー、レスラー、空手、ボクシング等の強豪達が集う中、無傷でなおかつ全試合チョークスリーパーで一本勝ちの圧倒的な強さで優勝したのが、かつて前田光世から柔道の手ほどきを受けたエリオ・グレイシーの実の息子、ホイラー・グレイシーでした。
当時の格闘議論では何でもありのルールで戦った場合、有利なのは圧倒的に立ち技系選手という意見が大多数でした。
そんな意見がほとんどの中、一つの傷も負うことなく鮮やかな寝技で一本勝ちを量産し優勝してみせたホイラー・グレイシー、もといブラジリアン柔術の技術は一夜にして世界中から脚光を浴びたのでした。
それ以降、急速的にブラジリアン柔術の技術は世界的に広まり、もちろん日本にもその技術は逆輸入され広まっていったのが現在の日本のブラジリアン柔術だと言われています。
現在では総合格闘技の練習メニューには必ずと言っていいほど組み込まれるくらい柔術の技術は重要視されています。
(※総合格闘技界のパイオニア 宇野薫(うのかおる)氏と佐藤ルミナ氏)
ブラジリアン柔術のみにフォーカスして見れば主に日本では中年男性の愛好者が多い傾向にあり現在の柔術界の中核を担っていると感じます。
そんな中、最近では女性にも密かに人気が出始め、その影響かついにはブラジリアン柔術の世界大会(通称ムンジアル)で何連覇もする女性も現れるほどになりました。
(※湯浅梨香子(ゆあさりかこ)選手 ムンジアル2015〜2018年4連覇の寝技最強女子)
現在、日本におけるブラジリアン柔術は「安心安全」に強くなれるということもあり、働き盛りの中年サラリーマンや、主婦、OL女性など様々な年代、性別、職業の方々に愛されています。
そしてもう一つ、ブラジリアン柔術の歴史を語る上で避けては通れない逸話があります。
それが
木村政彦VSエリオ・グレイシーの死闘
です。
当時、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とまで言われた日本歴代最強の柔道家「木村政彦」氏とブラジリアン柔術の達人「エリオ・グレイシー」氏の一騎打ちです。
(※木村政彦(きむらまさひこ)氏)
(※エリオ・グレイシー氏)
木村の鬼の如き強さの評判を聞きつけたエリオが自分の柔術はどこまで通用するのか、それを試すべく木村に対決を申し込んだところ、木村は快諾。親善試合という形で試合が実現したのでした。
ルールは至ってシンプル、相手が「参った」もしくは「タップ」をするか、どちらかが相手を締め落とした方が勝利という単純明快なルールに決定しました。
この試合に備え、エリオ側は棺桶まで用意したという逸話が残るほどなのでエリオがどれほどの覚悟でこの試合に挑んだのかが伝わってきます。
そして1951年の9月6日、リオデジャネイロのマラカナン・スタジアムにおいて世紀の一戦の火蓋は切って落とされました。
試合開始2Rに木村は得意の大外刈りでエリオを押さえ込み、そのまま腕絡み(腕を極める間接技)でエリオの骨を折りました。
(※キムラロック)
しかしエリオはそれでもタップをしません。木村はなおも折れた腕に対し力をかけ続けます。
そして試合開始から13分経ったころ、見るに耐えれなくなった兄カーロスがエリオに代わりタップをして木村の一本勝ちで試合は終わりました。
なお後年に木村はこの試合でのエリオの事を「何という闘魂の持ち主であろう。腕が折れ、骨が砕けても闘う。試合には勝ったが、勝負への執念は…私の完敗であった」とその精神力と、武道家としての態度を絶賛しています。
そしてこの試合で木村がエリオに対してかけた腕絡みがブラジルやアメリカで「キムラロック」あるいは単に「キムラ」と呼ばれるのは、この試合が由来です。エリオが木村の強さに敬意を払い名付けたとされています。
エリオ側は後年「私はただ一度、柔術の試合で敗れたことがある。その相手は日本の偉大なる柔道家・木村政彦だ。彼との戦いは私にとって生涯忘れられぬ屈辱であり、同時に誇りでもある」と語っています。
かくして日本柔道VSブラジリアン柔術の威信をかけた戦いは日本柔道に軍配が上がったのでした。
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続く。
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