とりとめのない娯楽

どうも、こんばんは!
髙陽です。

以前もお話ししましたが、私は現在文学フリーマーケット出店にむけての作業に日夜勤しんでおります。
それによって、作業時間確保のためnoteの更新が不定期になってしまっており、皆様にはご迷惑をおかけしております(ーー;)

そんななかで、最近思ったことがあります。

小説とは、なんのためにあるのだろう。

今更なにを言っいるのだという話ですが、ふとこんなことを考えたわけです。

そこで、出た答え、私の根本的なスタンスを今回はお話させていただきます!

人はなんのために小説を読むのだろう、小説を書くのだろう。

私にとって、小説とは何なのだろう。

もちろん、その答えは人それぞれです。
教養のために読む人、日常に役立つ気づきを求めて読む人などなど、様々な人がいます。

そして、私にとっての小説を読む理由、書く理由。
考え抜いた結果導き出された結論は、一言で言うと、娯楽、です。
もちろん、なにか役に立つ情報や気づきがあれば楽しいですし、嬉しい。書く時も読者の方にそうあってほしいと願い、手を尽くしているつもりではあります。

それでも、本質的なところ、根本的なところで言えば私にとって小説とは娯楽なのです。
例えば、私が日々過ごす日常とはかけ離れた世界で私とは真反対のキャラクター達が繰り広げる冒険活劇。恐らく、私が日常で活用できるような情報や気づきはまったくないとは言わないが、あまりない。
それでも、私は手に汗握ってページをめくり、満たされたような読後感を噛み締め、ため息をつく。
それは、楽しかったからです。

では、なにが楽しかったのか、物語としての楽しさで言えば、それは千差万別ですが、辿っていけば理由は一つ。
体験しえない非日常に入り込むことができたからです。
物語の中では、自分ではない人間の人生が自分の立つ世界とは全く別の場所で展開されてゆきます。
それは、未知の世界であり、貴重な体験です。
なにが起こるか分からず、見たこともないような風景を頭に浮かべ、そしてそこにいる住人たちの一言一言に一喜一憂し、彼らと共に感情を変化させてゆく。
それこそ、冒険のようではありませんか。

自分がなにに感情を揺さぶられ、この小説にはどんな思いが、意味があるのか、そこに目を向ける人はもしかしたら少ないのかもしれない。

でも、私はそれでいいと思っています。
ただ、ほんの少しの間でも、自分とは違う人間の人生が、見たこともない世界が垣間見えれば、それは、きっと楽しい。

そこに、学びはないのかもしれない。
そこに、重要性はないのかもしれない。
それは、無駄なのかもしれない。

けれど、それでもいい。
無駄を楽しむ。楽しむことにこそ意味がある。

それこそが娯楽。

それこそが、私にとっての小説で、私の目指すべきものです。

そんな考えのもと、これからも様々な作品を書いていきたいと考えております。

よろしければ、お付き合い頂ければ幸いです。

では、またお会いしましょう。

令和二年 弥生
髙陽

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