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自殺タイム

自殺タイム

髙陽



命は、尊いものです。

命は、かけがえのないものです。

命は、大切にしましょう。

昔からの決まり文句だ。

教師、医者、両親、政治家、宗教家、物語のキャラクター、皆が皆、同じセリフを言っている。いつだってそうだ。

誰もが命の尊さを説き、命の守り方を教えてくれるのに、誰も、命を大切にすることの辛さも、命の捨て方も、教えてはくれなかった。

理不尽だと思う。

命が等しく大事だとは、俺は思えない。

命を等しく守らねばならないとは、俺は思えない。



少なくとも俺は、俺は、この命を捨ててしまいたい。

どんよりと重い色をした空から、強い風が吹く音がした。

部屋の中に二つしかない小さな窓が、カタカタと音を鳴らして揺れる。

覚悟を決めてなお躊躇している俺を、せせら笑っているように、窓は小刻みに揺れて音を出す。

滑稽だ。人生最後の光景がなんとも侘しい。

溜め息をついて、天井から垂れるロープの輪に首を通す。

あとは簡単だ。踏み台を蹴飛ばせばいい。それで終わる。

長い、本当に長い苦痛から開放される。

そう思っただけで、俺の心は雲を払うように爽快な気分になっていく。

さあ、いこう。

思い切り足に力を入れようとした、まさにその瞬間だった。

ふと、棘のように小さくて存在感のある疑問が頭を過ぎった。

首を吊って自殺をする。

その後、俺の死体はどう見えるのか?

果たして、どう見られるのか?



家具もなにもないワンルームマンションの一室。

そのフローリングの中心で、俺は一心不乱にノートに書き込みをしていた。

無論、自殺方法をだ。

こんなに殺風景な部屋の中で、ただただ必死にどう死ぬかを思案している様は、俯瞰してみれば結構シュールなのかもしれない。

俺はノートに思いつく限りの自殺方法を書き連ね、そしてもう出てこなくなった段階で、その中から、手軽に行えないもの、金のかかるもの、そして、死んだ後の印象が悪いものにばつ印をつけていく。

入水自殺、これはだめだ。死んだ後ガスで膨れて臭くなる。

首吊りもだめ。糞尿を垂れ流しながら死ぬなど、死してなお恥を晒すようなものだ。

他にもいくつかの方法にばつ印をつけていき、最後に残ったのは三つだった。

さて、どれにしたものか。





俺は自殺方法が書かれたノートを片手に、街をぶらぶらと散策していた。

さすがにあの狭苦しい部屋で延々と頭を回転させる作業に飽きてしまい、気分を変えようと散歩に出かけたのだ。

そして、残った三つの方法。

その中のどれで死のうかを決めかね、決断のきっかけになるものでもないかと、そんな淡い期待もあった。

しかし、俺の考えは儚く、もろぃので、すぐに打ち砕かれてしまう。

進行方向が、小綺麗なオフィス街にさしかかった時だった。

少しの風と空気の動き、そして、なにかが潰れる音がした。

どしゃり。

耳にまとわりつくような、不快な音だ。

ゆっくりと振り返れば、そこには、人間、だったものがあった。

頭が半分潰れ、手足が捻れ、片目だけが悲しそうに見開かれている。

飛び降り自殺だ。

直感的に、状況的にそう察した。

自分も自殺をしようとしていたところだ。なにも驚くことはないはずなのに、気がつけば、俺は内側から沸き起こる衝動に任せて走り出してしまっていた。



何故だか、分からない。

死ぬことを望んでいる俺が、何故人の死を目にした瞬間に逃げ出したのか。

荒い息を繰り返しながら、横断歩道で信号が青になるのを待っている。

乱暴に息を吐き出す度に、疑問が頭に浮かんでは消える。

そして、思い出される、あの目。 死を悲しみ、自分を悲しみ、そしてなにかを恨むような、あの目。

やめろ。

脳内で俺のことを睨むあの目を必死に振り払う。

そんな目で、俺を見るな。

左右に首を振り、なんとかあの映像を消そうと試みるも上手くいかない。

そうして、ふと右隣を見てみると、虚ろな目をした女性が一人、横断歩道と車道の境目に立ち、ふらりふらりと揺れていた。

まるで生気を感じない目だが、その目から、つうっと涙が流れ落ちた。

そして、車が通る瞬間、女性はさっきまでのおぼつかない雰囲気が嘘のように勢いよく車道に飛び出した。

響き渡るクラクション。

人の体が潰れる音。

飛び散る血飛沫。

また、自殺だ。

俺は思わず周りを見渡すが、周りの人間はまるで視界に入っていないかのように、興味のない目付きで信号待ちをしていた。

おかしい。これは、これはおかしい。

そして、こつんと、俺の足になにかぶつかった。

視線を下に移すと、女性と目が合った。

千切れた首だ。

なにかを訴えるような、悲しい目。

やめろ。

見るな。

たまらず、俺は後ろにいた男に声をかけようと、振り向いたが、目が合った瞬間、俺はぞくりとした。

同じ目だ。

そして男はスーツの内ポケットから小瓶を取り出すと、中に入っている小さな錠剤を手のひらに乗せた。

そして、男の目から涙が流れる。

手を伸ばして止めようとするも、それよりも早く、男は一気に錠剤を飲み込んだ。

男は苦しみ出し、そして泡を吹いて倒れた。

また、自殺だ。

体の内側から、溢れる衝動と感情。

その正体にやっと見当がついた。

恐怖だ。

俺は彼らの死を、彼らの目を、恐れている。恐怖を感じている。

あの目が物語っているのだ。

死の苦しさを、死の悲しさを、そして、悔恨の気持ちを。

死してなお、消えることのない苦痛を、俺に語ってくる。

そして、向かいの歩道からも、どしゃりという音と、クラクションの音が聞こえた。

また、誰かが死んだ。

信号は青にはならない。

俺はたまらずその場から逃げ出した。

走って、走って、目的もなくどこか遠くへ行こうとした。この死の連鎖がない場所へ。

死の時間がない場所へ。

その間も何度も死を目にした。

誰かがビルから飛び降り、誰かが車に轢かれ、誰かが毒を飲みもがき苦しみ、そして、死んだ。

嫌だ。

死にたくない。死にたくない。死にたくない。

あんな目で死ぬのは嫌だ。死んでも、死んだ後も苦しむのは嫌だ。

嫌だ。

死にたくない。俺は、死にたくない。

一心不乱に走っていたが、なにかに躓き転んでしまう。

急いで起き上がろうとしたが、俺の背中に誰かがのしかかった。

そして、後ろから冷たい手が首に触れ、思いきり絞められる。

殺される。

死んでしまう。

必死にもがき、手を振り払おうとするも、冷たい両手に込められた力は緩められることはなかった。

「死にたいんだろう」

声がした。

男のような、女のような、大人のような、子供のような、老人のような、聞いたこともない、不思議でおぞましい声だった。

「これが、望みだろう」

俺に語りかける。

違う。こんなものを望んでなんかいない。

声に出して否定しようとしても、声がでない。

口から泡が吹き出る。 身体が痙攣しはじめる。

死にたくない。

俺の心に芽生えたのは、明確な生への執着。死への恐怖だった。

俺は、生きたい。

そう願っても、もう身体は動かない。

「もう、遅い」



その言葉を最後に、俺の意識は、途切れた。





はっと目を覚ます。

目に入るのは、見慣れた殺風景な部屋と、フローリングに置かれた、開かれたままのノート。

夢だ。

そう認識した途端、強い安心感に包まれる。

俺は、生きている。

生きているんだ。

それは、生への安心感と、死への恐怖。

夢から覚めても、たしかに残っている。

目の前にあるノートを閉じる。

まだ、なんとかなるかもしれない。

間に合うのかもしれない。

生きよう。

前向きな気持ちを抱いて、俺は窓際にあるゴミ箱にノートを突っ込んだ。

その瞬間、なにかが、窓の外を横切った。

ぞくりとした感覚が背中を駆け抜ける。



そして聞こえる、あの不快な音。



ぐしゃり。

























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