伏見学

90年代ラヴァー。特に90's J-POPをこよなく愛す。本業はライター/編…

伏見学

90年代ラヴァー。特に90's J-POPをこよなく愛す。本業はライター/編集者。専門テーマは「地方創生」「働き方/生き方」。1979年生まれ。神奈川県出身。慶應義塾大学環境情報学部卒業、同大学院政策・メディア研究科修了。

最近の記事

  • 固定された記事

【私の90年代 vol.1】 KATSUMIさん(ミュージシャン)

高校卒業後、故郷の茨城県日立市から東京に出てきて、音楽の専門学校に入りました。もっとも、音楽の学校に行くというのは親に対する言い訳で、とにかくバンドがやりたかったんです。 とはいえ、ここまでの結論に至るまでにはそれなりの葛藤もありました。父は僕が生まれてすぐに急逝し、母は再婚せずに姉と僕を育て上げてくれました。姉はともかくも、僕は長男として地元に留まるべきなのではと考えていました。けれども、姉が都内の大学卒業後に地元に戻ることになり、僕が入れ替わりで上京を選択できたので

    • 【私の90年代 vol.7】 米持修司さん(縫製クリエイター)

      1990年(17歳):進路に悩む。実家が調剤薬局だったため、薬剤師になる道を進むことは必然だと思っていた。ただ、小学生のころから大好きだったプロレスの世界に憧れていたので、時代が時代で、情報もあったら特殊メイクの世界に行っていたかもしれない。 1991年:浪人生活。水道橋の予備校に通う。彼女ができる。北の丸公園で朝から夕方まで8時間ほどイチャイチャしていたら警察に事情聴取されたことも。 1992年:浪人生活2年目。彼女は家庭の都合で長崎へ。遠距離恋愛に。予備校は夏期講習な

      • 【私の90年代 vol.6】 谷川伸人さん(会社員)

        1990年代は、今の自分の基礎を作った時代であると断言できます。 工業大学出身で、無線通信機器の設計業務に携わりたいと考え、会社の門を叩いたのですが、入社後の配属は営業部。「え、冗談だろ?」と思いましたね。 営業の仕事なんて想像もつかなかったし、慣れ親しんだ地元・大阪ではなく、縁もゆかりもない東京で働くわけですから、戸惑いはありました。さらに、扱う商材はアマチュア無線ではなくビジネス無線で、当時はその分野自体の認知度も低かったため、営業活動も苦労しました。 唯一の楽

        • 【私の90年代 vol.5】 小柴豊さん(会社員)

          90年代は、自分にとって変化の大きい、実り多き10年でした。中でも94〜95年の経験は今にも生きています。 名古屋に本社がある企業を相手に仕事をしていましたが、そうした会社のマーケティング部門のレベルが非常に高いことに驚きました。東京の顧客よりもいろいろなことにアンテナを張っていて、知識も深い。「こういう新しい分析手法がありますよ」などと下手に営業すれば、「もうそれは知っている」と一刀両断されます。 彼ら自身で調査もたくさんするし、私よりも勤勉に知識を収集しているため

        • 固定された記事

        【私の90年代 vol.1】 KATSUMIさん(ミュージシャン)

          【私の90年代 vol.4】 久保田健一さん(自営業)

          濃淡があるわけではく、すべて濃厚な10年間でした。 阪神・淡路大震災やオウム真理教事件など、社会的に大きな変化があった時代でしたが、私は自分自身のリアルを追求していたため、社会性はなかったですね。テレビもほとんど見てなかったし。 90年代に関して、1つキーワードを挙げるとすれば、やはり「クルマ」ですね。 最初のきっかけは、高校3年生のときに、友達に誘われて埋立地へ行き、ドリフトを見たことです。当時はF1ブームでしたが、テレビの中のF1レースよりも、目の前のドリフトの

          【私の90年代 vol.4】 久保田健一さん(自営業)

          【私の90年代 vol.3】 金城智博さん(グラフィックデザイナー)

          さまざまな体験をした時期でしたが、人生の転機となったのは95年、96年ですね。 周りの友人たちが次々と就職を決めて社会に飛び出していく中、23歳で専門学校に入ったわけですから。学校の同級生は皆10代。当時はこの年齢で専門学校にやって来る生徒は珍しく、先生や他の生徒もびっくりしたことでしょう。 ただ、私は「絶対にデザイナーになるんだ!」と腹を括っていたため、とても気合いが入っていました。実家のある北谷町から那覇の学校まで、ほぼ毎日バイクで通い、デザインの基礎から必死で学

          【私の90年代 vol.3】 金城智博さん(グラフィックデザイナー)

          【私の90年代 vol.2】 岡田真理さん(NPO代表、スポーツライター)

          1990年は、元号にすると平成2年。当時は「平成の時代はこうだ」「平成の世をこう生きる」といった表現がメディアでよく使われていた記憶があります。小学生から中学生へと、次のステージに進む私にとって、その言葉はとても響きました。 「自分はどうやって生きていくのだろう?」と、いろいろと考えを巡らせていた中で、人生を変える2つの出来事がありました。 一つは、90年夏の米国ホームステイ。 ホストファミリーには私と同世代の姉妹がいて、二人ともサッカーをしていたんです。今でこそ米

          【私の90年代 vol.2】 岡田真理さん(NPO代表、スポーツライター)

          「90年代とは何か」を知る旅

          日本における1990年代とは、一体どのような時代だったのか——。 バブル経済の崩壊を皮切りに、阪神・淡路大震災、オウム真理教事件、北海道拓殖銀行や山一證券の破たんなど、社会に影を落とす出来事が次々と起きました。「失われた10年」などと揶揄されるように、90年代はネガティブなものとして捉えられることが少なくないです。 他方、明るい話題もありました。カルチャー分野では、音楽ソフトの市場規模が98年に約6075億円と過去最高額を記録したり(日本レコード協会調べ)、今なお愛され続

          「90年代とは何か」を知る旅