私は馬鹿だ。

 私は、バカだ。頭が悪い。学生時代も勉強は出来なかった。社会人なってからも学習をしていない。しかし、私が馬鹿だと気づいたのも遅かった。なぜなら、私は馬鹿だと思っていなかった。勉強する事や学習する意味をはき違えていた。勉強や学習とは、特別な意味や価値はない。勉強や学習とは、生きると同じだ。生きるとは、ご飯を食べる、お風呂に入る、もっと言うならば、寝るなどと同じだ。それは、毎日毎日世界中の人がする事だ。しかし、自分も含めて世界中の人の殆どの人がしていない。そうなるのは、なぜだろうか。勉強は、しんどく辛いというイメージがあるのだろう。それは、学習や勉強は、暗記などという作業になっているのだ。しかし、本当の勉強や学習とは違うのだと感じる。つまり、勉強が作業となり、本来の勉強や学習とは違っているのだ。
 私が考える勉強や学習の価値や意味を考え、言葉にする。まず、学習や勉強出来なかった理由を考える。次に、勉強や学習する為に方法を考える。最後に、勉強や学習した後、自分がどうなっているかのイメージを書く。
 私が考える勉強や学習の価値を書く。まず、学習や勉強とは、抽象化し具体化の往復と事だ。抽象化とは、どういう事か。予備校講師の富田氏は、以下のように記している。
 「抽象化=表面が違って見えるものの中身の共通性を見出す」
 具体化とは、どういう事か。辞書では、以下の様に記している
 「具体的すること。特に、計画などを実行出来るようにすること。」
 この抽象化と具体化を往復する事が勉強や学習する意味だ。この作業の意味は、問題設定と問題解決を繰り返す事だ。抽象化する事によって、中身の共通性を見つけ出す事が出来、問題を発見する事が出来る。具体化によって、その問題を解決する事が出来る。よって、問題設定と問題発見を繰り返す事が出来ると考える。全ての日常もこの事は同じだ。学習=人生という事だ。
 次に、勉強や学習の方法を考える。日常に勉強出来る環境にしておく事が大切だと考える。常に本を持ち歩くやパソコンを持ち歩く事が大切だと考える。環境によって、自分を追い込む為に、周囲の人間を使う事を考える。最後に抽象化と具体化を意識をする事が大切だ。どの様に意識をするのはどの様にするのか。物事を階層化していく事だ。その事によって、共通点などが見えるだろう。
 最後に、勉強をしている時やした後のイメージを書く。まず、五感について書く。見える景色【視覚】は、上を向いて、次の教材を見る。聞こえる景色【聴覚】は、無音になる程、集中している。その時の気持ちは、達成感と日常と感じる気持ちだ。これが、勉強したあと感じることだ 

 以上の事が、勉強する事であり、これからする理由だ。

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