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チーズフライささ美さんという方に、私についてかいてもらった文章(1454字)


概要

チーズフライささ美さんという、昔すこし絡んだ事がある人に、私に関する文章を書いてもらいました。


(1,454文字)


 再三言うがかとうさんはうざくはないし、彼をうざいと思ったことは一度もない。やや苦手だっただけで。
 映画を見に行くことになる前、バーの集まりで顔を合わせたことがある。まだかとうさんの存在をあまり認識してはいなかったため、僕は「ロシアにルーツを持つ人がいるなあ、日本語がたどたどしいのにがんばっているなあ」という印象しか受けなかった。
 僕がスラムに入り浸っていた初期のころ、ようやくかとうさんの輪郭っぽいものが少し見えてきたときは……いわゆる「積極的コミュ障」だと思って、距離を置いていた。ネット上で観測できるかとうさんの行動は突拍子もなく、弱者が多めのスラム内でも群を抜いてアクティブすぎる。それを苦手に思う人もいるし、突き抜けた行動力を褒める人もいた。そして自分は、己が躁状態だったことを思い出してしまうため、かとうさんはやや苦手に思っていた。「うざい」という言葉とのニュアンスとは、若干違う。自分が鏡写しになったようなかとうさんを見て、僕が勝手にしょぼくれてしまうだけだ。
 かとうさんとは安全な距離、すなわちネット上でしばらく知り合いレベルの交流をしていた。映画を一緒に見に行くきっかけはもう覚えていないが、それでも「怖いもの見たさ」だった気がする。今思えば大変失礼な話である。ごめんなさい。
 彼がADHDなのは知っていたので、鬼滅の刃の映画を一緒に見に行った際にある程度覚悟はしていた。しかし上映中に少し揺れるだけだったので、全然気にならなかった。別の友人にも「長時間映画館で座って見るのがつらい」という人はいたので。そこにはいなかったけど、スマホをいじる輩の方がよほど迷惑だと思う。
 帰りにクアアイナでハンバーガーを一緒に食べ、帰り際に店員に「ごちそうさま」と言えるかとうさんを見て、出会ったころからだいぶ社会性を身に着けているなあと勝手に感慨深くなっていた。儀礼として真似がしやすいとはいえ、いわゆる健常者と呼ばれる人種でも、なかなかできないことだろう。見直した、と言うと上から目線でますます申し訳ないが、かとうさんのことをちょっと応援したくなった。
「かとうさんはミッキー」「かとうさんは愛されている」という言葉に私はモヤついていた。だってそれは、一生懸命生きているかとうさんをピエロとして認識しているからだ。薄い膜のような嘲りの視線を、私はとうとう止めることができなかったことは後悔している。だってその膜は、少なからず私も持っていたから。許してほしいとは思っていない。この事実は、かとうさんの思うがままに反応してほしい。
 かとうさんが注意を受け、自主的にスラムから離れて久しい。私も木曜の読書会zoomを設定するだけになり、スラムからは半分抜け出したようなものだが、かとうさんのような人が現れる確率はそんなに高くないだろう。
 ぶっちゃけ、今の彼が何をしているかよくわからない。スラム以外の接点で言えばTwitterが挙げられるが、そこでも親しく交流をしているかと言われればそうでもなく。私の900人ちかいフォロイーにまぎれて、時折そっと誰かのいいね関係から、風に吹かれた落ち葉のように呟きがやってくる。
かとうさんはとにかくたくさんのものに興味を持つが、それでも彼なりの審美眼はある。なので、私の謎記事にフックが引っ掛かってくれたことが素直んに嬉しい。私が楽しいようにおどけ、私が楽しいように踊ることで、かとうさんの興味を引き続けられたら、それはとても素晴らしいことだと考えている。

私の感想




最後に

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