ねじれた魔法を解く方法 14
救急搬送されたのち、ダイチの父親は何度も心肺蘇生をされて、そして亡くなった。
ダイチは事情聴取を受けて、私も事情聴取を受けた。サキちゃんは、話すのが苦手だから、ほぼ筆談で通してたけど、施設の樋口さんていう職員さんが一緒に受けることでサキちゃんの思いをより伝えてくれた。
正当防衛には過剰だし、過去の出来事を含めても大人は我が子を殺しかけても罪に問われないのに子どもは大人になって親に仕返ししたら殺人になるんだって。
私はユキの話をずっとしてた。
ユキがどんな仕打ちをされてきて、ダイチがどうやって耐えてきたのか。それで今回、サキちゃんがどんな経緯でこんなことに巻き込まれたのか。
何で法律はダイチがおかしいっていうんだろう。
何で他の人はダイチとユキのことを何も知らないくせに知った顔してわかったようなこと言うんだろう。
ダイチはたくさんの傷を抱えて、親殺しの罪を背負った。
「久しぶり。元気だった?」
刑務所の中にある面会室に、ユキとダイチに会いに来た。
ダイチに新しい肩書きが増えてから一年経った。当時はセンセーショナルな事件だった。元被虐待児が虐待親をバットで殴り殺した事件。それで終わり。何も知らないコメンテーターが好き勝手なことを言うから私はテレビを見なくなった。少しばかり虐待児の児相の介入が増えた。それだけ。世の中は大して変わってない。でも別にそんなことどうでもいい。
「ダイチ?」
ダイチが何も話さなくて、私は首を傾げた。
どうしたの?
「し…、診断が、……………出た。」
「診断…?」
「心理検査の診断…解離性同一性障害かどうかって…」
ダイチの声が震えていて、この部屋で何度か会った中でも一番震えていた。
何かを怖がっているみたいで、怯えているみたいで、ガタガタと目に見えて手と唇が震えていた。
前に来た時に精神科の審査をしたっていう話を聞いていた。不快な女医の先生で、機械的に話を聞かれてすぐに終わらされたって…。それの結果のことだろうか。
「結果が出たの?…二重人格…っていうか、解離性同一性障害っていうやつ…?だったんでしょう?」
それ以外にあるの?と私が首を傾げて尋ねても、ダイチは何も答えない。
「ん?ダイチ、どうしたの?」
蒼白の顔で、血の気が引けて、唇が紫色になっている。
ダイチは何も答えない。
「え?どうしたの……?」
「………………ちが…う…。ユリ、違うんだ………」
「え?」
「統合失調症なんだ…」
「……え…?」
「陽性症状の強い……、統合失調症…………らしい…」
「統合………」
統合失調症?って、妄想とか思い込みが激しいとか、動くのがつらいとか…の症状だよね?
「解離性同一性障害だと思っていたのは、違うって…」
「え……?」
違う…?私もダイチはいわゆる多重人格だと思ってた。それが解離性同一性障害で。統合失調症って………、思いもよらない病名だった。
「ただ、幻覚はごくわずかで、……病気も……軽い…らしい」
「………どういうこと?」
ダイチの言いたいことの意味が全くつかめなかった。
私達は強化プラスチックで隔たれた監視付きの密室で世界から離れて宙に浮いているような気分だった。ここだけ、世界から隔離されているみたい。
聞きたくない気がするけど、聞かないといけない気もしている。
心臓がドキドキと速くて、血管からすごい勢いで流れる血液の音がする。轟々と両手で耳を塞いだ時に聞こえる血液のマグマのような音。頭に血が上っているのか、おでこがすごく熱い。
ダイチ、何を言おうとしてるの?
それは、聞きたくないなぁ。
聞かないといけない話なのかなぁ。
聞いたら、私、生きていけるかな。
一人ぼっちになっちゃうかな。
ねぇ、ダイ「ユキは初めからいなかったんだ」
「ごめん!私、私、誰も居ないと思ってた!」
これは初めてユキとトイレで会った時。
「私、北原ユキです」
これは高校の屋上で、ダイチだと思ってた時。
「………サビシイよ。だけど、私はホントはいない子だもの。ダイチの代わりにいる子だもん。だから、ダイチの邪魔したらダイチかわいそうだよ」
ダイチのために生きてたユキ。
「…………いいの…?私…ユキさ………居てもいいの?」
友だちになった時のユキ。
「ウン。ユキ、いるね…。ここにいるね…。そっか、居てもいいんだ…。」
見た目は男子だったけど、誰よりも女の子だったユキ。
「ありがとう、ユリちゃん。ほんとありがとう」
花がほころぶみたいに笑ったユキ。
ユキ、にっこり笑ってたよ。嬉しくて涙こぼしてポロポロ目を赤くして。ウサギみたいで。
ユキ、私たち、友達だったよね。あの日秘密を分かち合って友達になった。
ユキは、ユキじゃなかったのかな…。
ダイチの頭の中のただの幻だったのかな。
私の友達のユキには、もう、会えないのかな。
「ユキは……、オレの妄…想で、……………オレが演じてた…だけ「ユキはいたよ。」
うつむいて震える手を見ていたダイチが、はっと顔を上げた。
「確かにダイチは、ユキのこと覚えてたし、記憶あったし、解離性なんちゃらとは違ってユキしかいなかったけど、でも、ユキ、いたよ。」
「でも、ユキしかいなかった」
「でもユキはいたよ!ユキは居るもん!ダイチの中にユキは居るもん!私の大好きなユキは、ちゃんと居るもん!」
駄々をこねる子どもみたいにダイチに怒っても仕方ないのに。
どうして喉がこんなに締め付けられるみたいに痛いんだろう。
どうしてダイチの顔が見えないんだろう。
どうして、息がしにくいんだろう。
どうして、胸がこんなに苦しいんだろう。
「でも、もうユキの声はしな…」
「そんなことない!ユキ、きっと寝てるんだよ!色んなことがあって疲れちゃったからゆっくりしたくて寝てるんだよ!だって、だって…そんなの………そんなの酷い……酷すぎる……!」
八つ当たりだって分かってる。
上着の裾をギュッと握って指先がどんどん冷たくなる。
爪が掌に喰い込むのが痛い。
肩と顎がすごく力んで痛い。
でも、胃がキリキリとしてもっと痛い。
「そんなの…………あんまりだよ!ユキに会いたい!会わせてよ!」
「居ないんだよ!ユキは!オレが作った気持ち悪い妄想だったんだよ!!!「うるさい!!!!」
「ユキを気持ち悪いとか言わないで!!!私のユキを返して!!!ダイチの馬鹿ぁ!!」
ポロポロポロポロ何でこぼれてしまうんだろう。胸が締めつけられると涙がポロポロ流れるのかな。
「うわぁぁぁん!ユキに会いたい!!ユキを返してよぉ!!うわぁぁぁ!!!」
大好きなおばあちゃんが死んだ時と同じくらい、子どもみたいに大泣きをした。どんなに堪えても堪えても零れてくる涙に負けて私は数年ぶりに泣き止むことができなかった。
「ユキぃ!私のユキ!大好きなユキ!居なくならないで、私を捨てないでぇ!!」
あああああ!と嗚咽が止まらなかった。縋りつきたいのに誰も居なかった。
ダイチははらはらと静かに泣いていた。まるで私を憐れむみたいに。まるで親友を失ったみたいに。まるで体の半分が死んでしまったみたいに。何も言わずに涙をこぼしていた。
「もう、ユキの声が…聞こえないんだ…」
父さんと母さんが喧嘩している声が聞こえる。
ぼくは一番音が聞こえないトイレに逃げ込む。
喧嘩の声を聞きたくなくて、今日学校の帰り道に友達が教えてくれたことを思い出す。
黒いランドセルが二つ揺れる。
一つは潰れた傷の多いランドセル。もう一つは入学して何年も経つのに大切に保管されてピカピカと鈍い光を返すランドセル。
「なぁ!ダイチ、お前ニジュージンカクって知ってるか?」
友達の明るい大きな声にダイチは気後れして、小さな声で聞き返す。
「にじゅー、じんかく?……しらない…なに?」
「オレ昨日ドラマでみたんだぜ。自分と自分じゃねぇやつが頭の中にいて、つらいこととか悲しいことがあると別のやつが代わりにそいつになるんだって!」
「なにそれ?」
首をひねるぼくに、緑の針金の貼られたフェンスの下、石畳の枕に沿って歩きながら友達が得意げに説明する。
「お前が怖いことあったらそいつがお前の代わりをするってことだろ?」
「そんなのいるの?ぼくドラえもんのほうがいいや」
「バカ。大人はドラマみるんだよ、ドラマー」
「ふーん?」
にじゅーじんかく…。
ぼくは友達が言ってたぼくのかわりの人を思い出した。
扉の外からは大きな声が、「私だって出来たから産んだだけで、あんたの子なんてほしくなかったわよ!」と叫んで物を投げてガシャンと割れる音が聞こえた。
「ぼくはいらない子なんだ…」
膝を抱えてトイレに座る子どもが絶望するには十分な言葉だった。
「別のやつがなお前の代わりになんだよ」
帰り道の友達の言葉がまた聞こえてくる。
にじゅーじんかく?
そうか、母さん、前に言ってたもんね。
「ダイチ、お母さんね、もしもダイチが女の子だったら、ユキって名前にしようと思ってたの。
希望が有る、か、幸せって書いて、ユキ。
でも生まれたのは男の子だったからダイチにしたの。とっても嬉しかったよぉ。
ダイチは冬生まれだから雪が大地の上に降るんだよ。
それでね、雪が溶けたら春が来るのよ」
雪が溶けたら春になる。
「…………ユキ」
聞こえる未だに怒り合う声。
母さん、忘れちゃったかな。
でも、いいよね、ぼくが覚えてれば…。
「ユキがぼくの代わりのニジュージンカクしてくれるの…?」
うずくまって小さな小さな声で魔法をかける。
ぼくの心を守るための秘密の魔法。
「イイヨ。イイヨ、ダイチ。ユキがダイチの代わりになるからね。」
トイレの中でユキが生まれた。
ぼくの心にぽっかり穴が空いてしまったらユキが埋めてくれる。
誰がいなくなってもユキがいる。
「ユキ、やくそくだよ。ぼくといてね。」
「いいよ。ユキ、ダイチが好きだから。守ってあげるね。」
何があっても、ユキがダイチを守ってあげるね。
『ねじれた魔法を解く方法』
終
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