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ねじれた魔法を解く方法 11

 自分の父親がどこでそういうことをするのかは自分がよく知っている。
 最寄り駅で電車を降りると、一目散に駆け出した。
「ユキ、待って!」
 叫ぶユリを置いてとにかく走る。実家に行く途中のターミナル駅でたまたま会えた。改札を出てそのまま実家まで一直線に走る。
「サキはうちにいると思うから、うちに来て!」
 振り返ってユリに叫ぶ。実家の場所をユリは知ってるから、とにかく走り続ける。男で良かった。こういう時は自分の足の長さに感謝する。
 懐かしい商店街を抜けて住宅街に行く、古びた築50年のアパートの一階。小学生の時から変わらない家。
 家の扉に飛びつけば、鍵がかけられている。とにかく、後ろにかけてたショルダーバッグにあるキーケースから色の鈍った簡易的な鍵を取手の鍵穴に通して回す。
「オヤジ、何やってんだよ!」
 開けると同時に叫ぶ。
 目に入ったのはサキに馬乗りになった父親。サキの制服はまだ乱れてない。ただ馬乗りになってるだけだ。それでも自分の理性を焼き切るには充分だった。
 何度この光景を見てきただろう。部屋に何度も風俗嬢を呼んで何度も似たような場面に出くわした。ただ、違うのは風俗嬢は合意の上でそういう仕事を選んでしているということだ。
 サキは高校生だ。しかも、過去の経験から男性恐怖症もある。
 最低の行為だ。
「なにやってるんだよ…」
「テメェ!いいとこなんだよ!邪魔すんじゃねぇよ!!」
「お前何やってんだよ!!!」
 男同士の怒声が響く。ただサキを怖がらせてるだけなのは分かっているが冷静ではいられない。どんだけクソなんだよ。
 習慣で靴を足から放り投げて無理矢理サキから親父を引き剥がす。入れ替わる形で自分がサキの上になる。
「金はやるんだから合法だろうがぁ!」
 転がりながら親父が叫ぶ。
「違法だよ!!犯罪者!!」
「うるせぇんだよクソガキが!誰のお陰でその図体までデカくなれたと思ってやがる!!金も入れねぇで役にも立たねぇくせに一人で育ったみてぇなでけぇツラすんじゃねぇ!!!ぶっ殺すぞ!!」
 親父が近くにあったハサミを手に取る。あの親父ならハサミくらいは刺してくる。自分でもそれはわかる。自分でもとっさに台所に向かった。流しの下から包丁を出す。
「殺ってみろよ!肝の小せぇお前に人殺れる勇気があんならなぁ!!」
「ああ!?」


「ユキ!ダメェ!!ダメダメダメ!!!サキちゃんいるよ!!!」
 安い扉をバンバン叩いて、ユリが叫んだ。息を切らすどころかどこからそんな声を出せているのか分からないほどだ。
「サキちゃん!!!」
 と叫んで、ユリがサキを匿う。

「誰かと思ったらお前のカノジョじゃねぇかダイチ。まだ付き合ってんのかよ?そんなに具合いいのか?たまには俺にも貸せよなぁ!」
「黙れよ」
「他の男とヤッたことあんのか?イマドキの女はセイジュンなんだろ?操でも立ててんのか?え?ダイチどうだ?」
「ユリがそんな女なわけないでしょ」
「は?」
 自分の父親に包丁を刺した感触は、最悪で、骨のないところって男の体重があればこんなにすっと刃が入っていくんだ、と驚いた。
 父親の左脇腹からじわっと赤いシミができて広がれば、次は私の手を濡らす。手汗と一緒にどろついて、握っていた柄がぬるぬると滑る。父親の背をとうに越したのは分かっていたけれど、頭が自分の肩の位置にあった。
 ユリとサキが危ない…。こいつが生きていたら、私の大切な子たちが危ない。ダイチ、私の大事な子たちが危ないの。
 包丁の柄を握っていた両手を離して、服で手の汚れを拭きながら、部屋の片隅に立てかけられた金属バットに手をかけた。
 そうだよな、このままこいつが生きてたら、お前の大事なものがなくなっちまうよな。
 オレが殺してやるからな。
 ユキ、お前もずっと我慢してきたもんな。オレが弱いからお前がいてくれたんだもんな。オレが殺ってやるからな。
「ユキ…?」
 振りかぶって頭に落とす。
 振りかぶって頭に落とす。
 振りかぶって頭に落とす。
 振りかぶって頭に落とす………。




 夏の朝、セミが鳴いている。
 小学生のいつの夏休みの終わりの頃だったか、父さんが野球をしに行こうと、朝なら涼しいから、とぼくを誘った。
 ミットと最近買ってくれた金属バットを持って、近所の河川敷に行く。
 朝練の中学生チームがいて、隣のグランドが空いていた。暑くなる前の少し涼しい朝だった。空が高くて、雲も薄くて少なかった。
 何度かキャッチボールをして、その日初めて金属バットを使って打つ練習をした。父さんのボールが全然当たらなくて、不貞腐れたぼくに、父さんが見本を見せてやると、ミットと金属バットを交換した。
「打つのはなぁ、速さでも力でもねぇんだよ」
 珍しく機嫌がいい父さんが、何度か素振りをして、バッターボックスで構えた。
 ぼくは近くからキャッチボールをするみたいにいつものように振りかぶって。

投げた。


キンーーーーーーー


 夏の薄い青の清々しく晴れた朝、高い金属音を鳴らして硬球は雲に届きそうなほど上がった。
 どこへいくんだろう、ぼくは見上げてすごく小さくなった球の行く末を見守る。
 遠く、遠く、遠く…。
 隣のグランドの中学生のお兄ちゃんが、ポスっとミットに硬球を収めた。


「ははは。ダイチ、アウトだ」


 父さんが気恥ずかしそうに歯を見せて笑った。


「そうだね。父さん、アウトだぁ」


夏の朝、父さんとぼくは顔を見合わせて笑った。次は打てるようになるといいな、と父さんが気持ちよさそうに笑って頭を撫でてくれた。
 それっきり、金属バットの打ち方は教えてもらえなかったけれど、ぼくと父さんは、その夏の朝、心から笑った。



 

「アウト、アウトだ………」

 いつの間にかユリに手を握られ、古い畳の上に座り込んでいた。ユリが全体重で押して抑えて止めてくれたんだろう。
 部屋の端にサキがいて、真ん中に挟むように父親が横たわっている。

「父さん、アウトだ……だめだ、アウトだよ…………」

 どうしても止められない涙がボタボタとこぼれてくる。何度振り下ろしてしまったんだろう。

「救急車呼ぶから」
 ユリが離れて電話をかける。救急です、男性が刺されてバットで頭を打たれました。意識はありません。息はあります。早くお願いします。警察もお願いします。

「呼んだよ」
「…………ユリ、ごめん」
「何が?」
「親父が酷いこと言った」
「ダイチのせいじゃない。謝らないで、傷ついてない」
「でも…」
「傷ついたのはサキちゃんとユキとダイチと物理的には…オジサン?死ぬかもしれないけど。死ねばいいのにね。」
 笑って、ユリが言う。死ねばいいのにと笑って言う。
 どれだけ、それに救われるだろう。
 父親の死を願う自分を責め
て何度罰したか……。
 笑ってくれる。
 そう思っても当然だと赦してくれる。
 それでもいいんだと笑ってくれる。

「ユリ、ありがとう」
「…………どういたしまして?」
「マジ、死ねばいいのにな…」
「そうすれば、ユキとダイチは自由なのにね。どこへでも行けるよ。何でもできるよ。幸せになってもいいんだよ。」
「いや、まず裁判と刑務所だから」
「え?行く必要あるの?」

 ふふふ、とユリが笑った。
「私なら無罪だなぁ!サキちゃんも怖い目にあったし」
 ユリがサキをおいでおいでと手招きする。おずおずとサキがユリの隣に座る。
 いつの間にユリは先の名前を知ったんだろう。
「怖い思いしたねぇ。もう怖くないよぉ。悪いやつは死ぬといいねぇダイチは無罪になるといいねぇ」
 サキを抱きしめて撫でながら安心させるように話す。
 世間に許されなくてもいい。
 一人でいい。
 一人だけでも、分かってくれればいい。
 それだけで生きられる気がした。


 ユリがサキとオレの頭を撫で続けているうちに、遠くからサイレンのけたたましい音が聞こえた。
 

 


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