ねじれた魔法を解く方法 12

 私はダイチが好きだった。
 私は歪な存在だったし、本当はいない子だけど、それでもダイチは私を必要としてくれた。
 時々中古の安いカメラで鏡越しに私を撮ってくれる。
 ダイチの眼は片方二重で、日によって変わる。くせっ毛が酷くて、ダイチはシャンプーなんて気にしないけど、私はできればちゃんとトリートメントまでしたかった。
 ダイチを好きな自分に自信が欲しかった。
 子どもたちに優しいダイチが好き。
 他の女の人に優しくするダイチが好き。
 クソオヤジに全然似てないダイチが好き。
 ユリに嫌味を言うダイチも好き。巻き込みたくないんだよね。ユリは女の子だもんね。
 自分を傷つけても、人は決して傷つけないダイチが好き。


 いい女でしょ?自分でもなかなかできた女だと思う。
 だってダイチを守ってきたのは私だからね。こんなに弱い子、庇って生きて、私って偉い。
 もう少し感謝してもいいよ。
 あともう少し好きに生きていいよ。


 遺書みたいだから、そこまで書いて、便箋を丸めてゴミ箱に捨てた。
 ここの朝は早いけど、施設ほどじゃない。そして誰の世話もしない。自分の世話をするだけ。それか、年老いて自分の世話もできなくなったじいちゃんの世話をするくらい。
 でも、自分の親と同じくらいの人の世話はどうもできなかった。手を貸す気にもなれなくて、自分がこんなに薄情だったと感じる。博愛主義だと思ってたのに。残念。
 あの子たちに会いたいなぁ。
 他の数人の拘留してる人と同じ様に私も囚人で、大して洗いもしない男の体臭を嗅いでるのは大いに不快だった。
 馬鹿なことしたなぁ。
 あと何年か死ぬのを待てば良かったのに。
 そのつもりだったのになぁ。
 馬鹿が大馬鹿なことをしたからこんなところに入れられるなんて不快。
 今回のことですごく事情聴取されたし、施設にも迷惑をかけた。

「北原、面会が来てるぞ」

 勾留期間は1日に一回くらい?面会ができるらしくて、施設の同僚とかユリとか、心配してる人が来てくれた。
 ついでにクソオヤジは数時間心肺蘇生の対処をしてもらったのち、ご臨終になった。だから我慢すればよかったなぁって。子どもたちの方が遥かに私の命をつぎ込むのに価値があるのに。
 あのバット、使っちゃったなぁ。汚したくなかったのになぁ。
 
 そんな事をのんびり考えながら面会室に入る。
 強化プラスチックの窓越しに居たのはサキで、樋口さんが後ろに保護者としてついてた。
 「サキ?」
 サキは制服で来てて、静かに面会室の椅子に座ってる。
 膝には新しい百均のホワイトボードとマーカー。
 私は自分用の椅子に座ると、「今、体調はどう?」と尋ねた。
 サキは俯いて、ホワイトボードを見つめて、ポロッと一粒涙を落とすと、ポロポロポロポロと泣き始めた。
「…っ…………ううっ…」
 と嗚咽が漏れる。
「サキ、ごめんね。つらい思いをさせたね。もう、怖いことは起きないよ。本当にごめんね、ごめんね、私の親がごめんね。つらかった…よね…」
 サキがホワイトボードに書きなぐって、バン!と窓に叩きつけた。
“あやまらないで!”
 私が黙ると、サキはホワイトボードを右手の側面でゴシゴシこする。
“お兄ちゃんはわるくない サキがわるいの!”
「サキは悪くないよ…」
“サキが行かなければお兄ちゃんこんなことにならなかった!”
「それでもサキは悪くないよ。怖かったんだから」
“サキがもっと強ければよかった”
 「あぁ……あっ…………」
 涙と鼻水で酷い顔になっている。可愛い子なのに。
「サキ、ごめんなぁ。涙と鼻水も拭いてやれないなぁ。ティッシュもあげられないなぁ…。」
 胸が締め付けられて、オレの声が震える。何のために施設保育士になったんだ。ない金を使って。
 この子の涙を拭いてやるためなのに。
「樋口、不甲斐なくてごめんなぁ。ハンカチあげて。」
 樋口がそっとサキの肩に手を置いてタオルハンカチを渡した。サキはぐしゃぐしゃの顔をぐりぐりと乱暴に拭いた。
「大丈夫か…」
 俯くサキの顔を覗き込むようにして尋ねると、サキは一度深く深呼吸をしてマーカーを走らせた。


“ダイチお兄ちゃん  ありがとう”


 一瞬掲げて見せた後に書き忘れたというように、“助けてくれて”と列の下に書き足した。  
「いいよ」
 笑ってそう答えると、サキが文字をぐりぐりと腕で消した。


“だいすき”


 サキが掲げるホワイトボードを見て、震える声で「…うん」と答えた。
 簡単な4文字だ。濁音と母音と平仮名ふたつ。そのたった4文字をずっと求めていた気がする。……人を一人殺したのに。そんな言葉に相応しい人間ではないのに。
 目をそらし続けているのに、サキはまっすぐにその4文字を掲げ続けた。


「サキ。…もういいよ……」


 サキがイヤイヤと首を横に振る。
 “だいすき”の下に書き足す。


“ダイチお兄ちゃん 死のうと思ってるでしょ”


 詰まる息を何とか振り絞って、言葉と一緒に吐き出す。

「思って…ないよ…」

“わかる”

 書ききれないホワイトボードの片隅に足された鋭い文字。
 サキは俯いて手で拭いて、また書き込む。

“サキも死にたい時たくさんあったから”

 見せて、消して、書いて。

“お兄ちゃんの死にたいときもサキはわかる”

 見せて、消して、書く。

“死なないで 生きて”

 その繰り返し。

“みんな 待ってる”

 見せて、消して、書く。

“おかえりって言うの”

 だから。

“帰ってきてね。”

 文字が水面に揺れるように歪んでいて、やっとの思いで読み切った。
 帰るつもりはなかった。もう雇われないと分かっていたし、また雇われに行くつもりもなかった。

「帰らないよ、サキ。帰らない…もう、帰らないよ」

 子どもを育てる資格なんて初めからなかった。

“サキの卒業式、見てくれないの?”

「…………………………見ない…」

“カズマの入学式は?”

「…………………………見ない…」

“トウマの卒業式と入学式は?”

「………………………見ない…」

“無責任”

“こんなに大事に育てておいて”

 ああ、大事に育ててきたなぁ。と無責任に思う。何よりも大切に、真綿にくるむように抱きしめて育ててきたなぁ。
 小さな痩せた手のトウマと知的にどうなるかという程に頭を包帯で巻かれたカズマを抱いて、毎日大きくなるように幸せを感じられるように、話しかけて食べさせて、一緒に遊んで。親鳥が雛鳥に翔び方を教えるみたいに。

“サキの卒業式 見てよぉ”
 駄々をこねる子どもみたいに、下唇を噛み締めて、サキが膝をすり合わせて前後に揺れて、とめどなく涙を流す。それなのに、ホワイトボードを掲げるのはやめない。

“ダイチお兄ちゃんに来てほしいよぉ”
“頑張ったなってサキに言ってよぉ”

 タオルハンカチでゴシゴシと顔をこするサキに、「学校では言ってやれないなぁ…。その時には刑務所に来てもらわないといけないかもなぁ…」と答える。

“それまでは、生きててくれる?”

 この小さな胸の中に自分の命が少しでも分かれて燃えてるのだと思うと、もっと与えたかったという思いと、程よい引き際かとも思う自分がいる。
「約束する。生きてる。」
 サキの目尻が安心した様に下がる。

“その後はサキの入学式で、その後はサキの誕生日。あとは、年末年始。”

「死なせないつもりだろ」

“バレた?あ、先に年末年始の挨拶?”

「喪中だよ」

 今までもこうして生きてきた。ただひたすら時間を積み重ねて。その時生きるか死ぬかではなく、生きている時間をひたすら積み重ねていく。今までも、きっと、これからも。






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