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#数学がきらい

noteに#数学がすき というハッシュタグがあり、記事が投稿されている。シリーズで、#日本史がすき もあったのだから当然である。「数学が好き」と言える人、それでnoteを書ける人に対して、少しの羨望を抱いている。

私は、一度も「数学が好き」と思えたことがない。数学どころか、その前の算数の時代から、相性は最悪と言える。空間把握が苦手(ゆえの方向音痴かもしれない)なため、図形や展開図は、見ただけで拒絶反応が起きる。円を描くだけでも大変だったのに、コンパスでそれ以外の図形を描くなど、私には曲芸にしか思えなかった。

文章問題も、単位換算も大嫌い。宿題に至っては(分からなさすぎて)怒られ、泣きながらやっていた。そして、ますます嫌になる。

その苦手(嫌い)に、さらに拍車がかかったのは中学だった。もともと小学校の段階で躓いているのだから、理解できるわけがない。学年が上がるにつれて、坂を転がるようにテストの点が落ちていった。3年の担任はよりにもよって(着任したばかりの)数学の先生だった。あまりの低点数に「頼むから、もうちょっと点を取ってくれ」と言われたが、頼まれて取れるものなら苦労しない。満点のうち、半分の点が取れれば御の字で、それさえ滅多になかった。

少しだけ転機となったのは、高校1年だ。数学Ⅰも、数学Aも教えて下さった先生がそれぞれよかった。特に数学Ⅰの先生とは、字は違うが名前が同じということもあり、とっても仲良くなった。数学が嫌いなのに先生とは仲良くなれるなんて、我ながら不思議だった。

相変わらず図形が嫌すぎて、私にどう教えたらいいかと考えた先生が、実際にみかんの皮を剝いて球体の説明をしてくれたこともあった。出来ない生徒であることは変わらなかったが、”どこが分からないか”だけは分かっていたので、質問(というか「ここが分からない」と言うこと)は、しやすかった。先生との相性が良かったこともあり、その1年だけは私史上最も、数学ができた(成績的にも中の上という感じだった)。

ところが、その先生がたった1年で高校を去ってしまった。仲が良かっただけにショックが大きく、一人泣きの涙に濡れていた。その後の数学Ⅱの先生が、これまた全く合わない人だった。「出来ない理由が分からない」タイプの先生だったからだ。せっかく上向きだった気持ちも、成績も元の木阿弥だった。

定期テストも、模試も、回答用紙はほぼ真っ白。時間が余って仕方なかった。解こうにも問題の意味が分からないのだから、答えが分かるはずはない。早々に、諦めていた。日本史との差が甚だしいこと、この上ない(笑)

2年修了時で晴れて数学とバイバイできた時の、あの解放感。12年間(正確には11年か?)一度も仲良くなれなかった。

やっぱり、私は数学が嫌いだ。そして「数学が好き」と言える人が羨ましい。

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