見出し画像

時代は進めど、根は同じ

今度は、双子のベビーカーで乗車拒否だそうだ。

大山加奈さんのInstagramから直接引用すると(著作権等の)問題が生じる可能性があるため、ハフポスト日本版の記事からとする。

「公共交通機関って誰でもいつでも利用できるものではないんですかね。」と大山さんは仰っている。至極真っ当な訴えだ。だが「公共交通機関って誰でも(ただし、他人を煩わさない人)いつでも(ただし、混雑時(間帯)は除く)利用できるもの」というのが、現実だと思う。

わざと()書きにした部分は、当人たちへの無言だが、非常に強い圧力である。当方、車椅子ユーザーとしてバスに乗る日常であるため()書きの圧力にも、慣れた感じはある。ついでに言ってしまうと、バスの乗車拒否も経験済みだ。ゆえに再度同様の出来事に遭遇しても、怒る気にもなれないだろう。

今回、大山さんが遭遇してしまったケースのバス会社がどこか分からないが、おそらく東京での出来事だろう。バスの型が古かったのかもしれないが、この時代だ。低床バス(ノンステップバス)の方が多いのではないか。
それとも、やはり東京パラリンピックは、最初から形骸化していたという見立てが真だろうか。
ちなみに、私が14年前(2008年)に乗車拒否されたのは、低床バス(ノンステップバス)だった。もう、笑うしかない。

仮に、今回のバスが低床バス(ノンステップバス)だったとすれば、当然スロープ(渡し板)はバスの設備/備品としてある。手動で出す必要があるか、電動式で出るかの違いはあるが、スロープ(渡し板)さえ出せば、今回の大山さんはご自分でベビーカーをお乗せになったはずである。運転手がする(すべき)ことは、スロープ(渡し板)を出し(ほかに必要とする乗客がいなければ)車椅子ユーザーの場合と同じように、座席を収納してスペースを作る。最低限であれば、この作業(だけ)だ。

それが、そんなに手間だったのか?それとも、バスの型が旧式でベビーカーや車椅子では一律に乗車ができなかったのか?どちらにしても、問題を「個人化」(ベビーカーの子どもとバスに乗る方が悪いと)してはならない。ベビーカーの子どもとバスに乗れない方がおかしいのだと、問題を「社会化」することだ。
(だんだん、本業の書き物をしている気分になってきた。蛇足だが、Disability Studiesの界隈では「ベビーカーの子どもとバスに乗れない方がおかしい」という主張は Social Model of Disability(厳密に言うと英国型なので British Social Model of Disability)式の言い方ということになる)


国が取りまとめた方針や東京都のリーフレットがあるようだが、二人用のベビーカーも折りたたまずに使用できるようにするという建前や、乗車の手順を説明する前に「ベビーカー使用時の親子の乗車拒否を禁ずる」という明文化が先であるような気がする。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?