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三島由紀夫への挑戦

昨日(も?)ふらりと寄った本屋さんで、新しい文庫本を買ってしまった。

三島由紀夫氏の『美徳のよろめき』である。

実は、三島由紀夫氏の文学作品でちゃんと完読したものは一つもない。かの『仮面の告白』も『金閣寺』も読んだことがない。唯一、ざっと読み通したのは『春の雪』である(これは、宝塚歌劇で舞台化された影響が大きい)。

『禁色』をしばらく前に買ったが、途中で止まっている。…にもかかわらず、なぜまた新たな作品に手を出したのか。自分でも、よく分からない。本屋の棚に並んでいる氏の本のうちで、『美徳のよろめき』が一番薄かったからだろう。こんな理由で選んでは、ファンの方に怒られそうである。

幼少期から、人より読書量は多かった(今も人並み以上だとは思う)わりに、いわゆる日本の(純)文学作品をほとんど読まないまま、大人と呼ばれる年齢になった。

夏目漱石も森鴎外も、教科書に載っていた部分しか読んでいない。唯一、森鷗外の『山椒大夫』は全編読んだが、これはみゆきさんの夜会「夜物語 元祖(本家)今晩屋」を理解するためのものだった(みゆきさんがモチーフにした『山椒大夫』を読んでも、未だにあの夜会「今晩屋」は、内容が理解できない)。

話が逸れたが、三島由紀夫氏である。(双子の)妹は氏の作品が好きで、ほとんどのそれを完読している。生物学的には同じDNAを持つにもかかわらず、妹との差が甚だしい。しかも、妹は氏の文学作品だけではなく、いわゆる「盾の会事件」と称される、氏の最期に至るまでの実話部分にも詳しい。没後、ちょうど50年だった昨年に特集された番組を一緒に観て、初めて知ったことばかりだった私とは、えらい違いである。それまでは「自衛隊に乗り込んでいって自決した人(頭のいい作家は、ちょっと変)」と思っていた私だが、左派の学生の集会にちゃんと出向き、きちんと対話したことや自決に至るまでの道のりを知って「ああするしかなかったのだな」と思った。

別に自決(切腹)を肯定するわけではない。ただ、三島由紀夫は気が狂ったわけでも、自暴自棄になったのでもない。その信念の是非は別の問題だが、信念を貫くためには、ああいう最期しか手段はなかったのだということが分かった。だから、私の中で「変な人」ではなくなったのである。

『美徳のよろめき』は、どうやら姦通(不倫)が主題のようである(まず、それすら知らない)。読み手によっては忌み嫌う人もいそうな主題だが、私は気にならない。

さて「何度目かの正直」で、今回こそ読み切れるだろうか。

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