一番邪魔なもの

目指すものがあって、そこが自分一人の力だけでは絶対辿り着けないものであるのが分かり切ってて、日々チームでそこに向かって連携とって進んでいく中で、
一番邪魔なものがある。ーーーーーーー


フラチナリズム ミーティングをさっきまでしてました。

いつ、誰が言ったかは忘れてしまったんですけど心に残ってる、

『速く行くなら一人で行け、遠くへ行くならみんなで行け』

という言葉が改めて頭をよぎりました。

確実に自分一人の力ではたどり着けないだろう所に少しでも近づけるよう日々活動してるのですが、
それに対して一番邪魔なものが、一番チームの足を止めることになるだろうこと。

僕にとってそれは

自分が何かを出来る人間だと思うこと

です。

はっきりと『この出来事があったから』とか『この日から』というものがあるわけでなく、ここまで生きてきた中で少しづつ自分の中で形成されてきた考えで、いわば"35年モノ"です。(僕35歳なので)

この考えを持ってるだけでホントに足というか、頭が軽い。

これは
『自分は何もできないんだから他人に全部任せよう』
ってことではないです。それは全く違う。

一つ一つに自分で考えを持って、それを指針に全体に対して意見を言ったり、行動したりするのは大前提な訳で。

じゃあ『自分が何かを出来る人間だと思うこと』が邪魔だというのはつまりどういうことかというと、

自分の意見や行動が全体に作用しなかったり、間違いを起こしてしまった時にすぐ次の行動に移れなくなってしまうから邪魔だ


ということです。

これは何か行動した時の結果は次の行動のための判断材料としてとてもとても重要だから、次の行動に早く移るためにすぐ開き直ればいいということではなくて。
やった結果ミスっちゃったり上手くいかなかった時にそれによって落ち込んだり、ある意味スネたりしてしまうことを僕は極力無くしたい。

そういうケースって恥ずかしいことに僕は今までの人生で身に覚えがあったりするんだけど、

原因は主に『自分のミスを素直に認められないから』であり、『自分が出来ない人間だと思われたくない』から、だと思っている。

そんな時は大概見えない角が頭から生えてきて、周りに威嚇してしまうものだ。
でもそれによって守られるのは結局"何の足しにもならない自分のプライド"だけである。

その角を収めるために一緒に遠くを目指してる仲間に気を遣わせてしまうことはしたくない。

同じこと言っちゃいますが、
これは『自分の考えをしっかり提示する』と言うこととは全く別の話です。

"35年モノ"と前述したけどなんとなく5〜6年前からこの考えは自分の中で形がはっきりしてきて、
自分の中で
『あぁ、これだ』
というものになってる感じがする。

でもきっとそれがまだまだそれが出来きれない時もあるんだろうな。
『ああするべきではなかったなぁ』って思うこともやっぱ未だにあるしね。

それこそ『それが出来る人間』だと思い固めてしまったらここまで書いてきた内容との矛盾が半端ないw

一つのことに対して自分より得意で上手にできる仲間がいることを有り難く思って、その中で自分の出来ることを惜しげも無く、下手な打算もなく提供できるやつでありたい。

そしてそう思うからこそ、逆に誰かの角が見えた時は、それに対して柔らかく受け止めれるようでありたい。

そんなことを思った今日でした。









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