アフターコロナ時代の教育考察②

前回のあらすじ

考察① 個人で学べる環境がより整備される時代

考察② 学校の役割・教師の役割の明確化

考察③ 経済格差の対応

以上が前回までの考察である。続けたいと思う。


考察④ 個々人のモチベーションが結果を左右する

これだけオンラインでのやり取りが盛んになると、ビフォアコロナよりもオンライン上で学ぶ環境が整備された時代に突入することは間違いなさそうだ。現在は、「オンラインでも意外といけるじゃん」が教育界、ビジネス界でも合言葉になっている。この流れを受けて、次に想定される動きはこうだ。個々人でやる気や行動力がある子どもたちは、自ら学びの機会を求めに行く。オンライン教育に限った話ではないが。だだ、これだけオンラインの学びの場が増えれば、自ら動ける子どもたちの好奇心を刺激しない訳はない。同じ動画を複数回見たり、勉強のみならず無料開放されている思考力や課題探求的な動画を見ているかもしれない。時間も有り余っているだろうし。

そして、この種の子どもは成果と結果を出しやすい。学習の根源は、内発的なモチベーションである。自ら学ぶ子どもは必ず伸びる。いつの時代も自発的な行動を起こせる子どもは強い。今この瞬間、さらにアフターコロナ時代の学びの環境が整備される時代において、自らを学びに駆り立てられる子どもは強い。

考察⑤ 学力の二極化が進む

自らの好奇心に駆り立てられる子どもたちと、そうでない子どもたちは、その後の結果に圧倒的な差が生まれる。歴史的にも当然その傾向は出ている。しかし、アフターコロナ時代は、学びのツールが整備され、自らの可能性が無限に広がる環境が待っている。このような環境下において、行動を起こせる子どもと、そうではない子どもの差が、より一層顕著になることが想定されるだろう。

しかし、学びの環境の整備が保護者の経済状況によって左右されてしまう社会の歪みは看過できない。特に考察③でも触れたが、緊急事態宣言が出ている今、この不平等問題が顕在化してしまっているのは大きな問題である。どうしても経済格差が出てしまうことは、日本が資本主義経済圏である以上防ぎきれない側面ではある。しかし、それにより、子どものたちの学習環境が左右されることは避けなければならない。

学習環境格差を埋めるために学校教育が果たす役割は大きい。公教育は等しく全ての子どもたちに提供されなければならない。民間の教育系企業は、高尚な教育理念もあるだろうが、利益を作らなければならないため付加価値を提供するような有償教育サービスに特化することになるだろう。それに関して無償にしてくれなど言う筋合いは一切ない。学校が遍く全ての子どもたちに最低限の平等な教育を施すことが求められる。よって、学校が健全に機能すれば、学力の二極化は基本的はある程度是正されることは期待できる。少なくても学力の底上げという側面で。

フィンランド教育は全ての子どもの学力底上げをする体制が優れている。PASAにおいて、フィンランドが上位に君臨する理由は、落ちこぼれや底辺層を作らないようにする体制や組織が機能しているからに他ならない。

考察⑥ 公教育の機能不全

コロナ禍において、公教育の弱さが際立っている。様々なしがらみと旧態依然の組織の中で身動きが取れないように傍から見てて思う。頑張っている先生や、この状況で子どもたちとつながりを創っている学校があることはメディアでも見させてもらった。そういう先生が多くいるのは分かっている。しかし、大部分の学校がまだそうはなっていない。オンラインで双方向のやり取りを行っている学校は全国の5%に留まり、オンライン上で課題等を課している学校は全国の10%しかいないようだ。ほとんどの学校が唯一の登校日にプリントを配布し、それ以外は指を咥えてこの状況を待っているだけという姿が浮かび上がる。

この原因を作っているのは何か。対面でしか教えてこなかった旧態依然の学校教育の弊害。今まで変わろうとしなかった教育方法。先生方のマインド。学校という組織としての保守的な考え。対面アナログ授業絶対主義。また、先生方を多忙にさせている教育委員会の無策さ。国の政策の遅さ。地域や保護者の過剰サービス要求。

現代社会は変化が激しい。今まで流行っていたものがすぐに廃れ、新しいサービスを作らないと生き残れない。民間は競合他社がひしめく中で、試行錯誤を繰り返しながら存続をかけて知恵を絞っている。学校も様々な知恵を絞って子どもたちの教育を考えているのは知っている。しかし、それがまだまだ甘いのかもしれない。学校には倒産という危機感がない。比較対象がないからだ。私学はその意味で危機感を持った教育や経営をしている。しかし、公立の学校は圧倒的に危機感が弱い。何か新しい取り組みを増やそうものならば、教育委員会がどうの、文科省がどうの、と自社の上司の文句ばかりが聞こえて来る傾向が強い。この危機感の欠如が、このコロナ禍での無策に結びついていることを、まずは知って頂きたい。

つづく