アフターコロナ時代の教育考察③

今までの振り返りから。

考察①個人で学べる環境がより整備される時代

考察②学校の役割・教師の役割の明確化

考察③経済格差の対応

考察④個々人のモチベーションが結果を左右する

考察⑤学力の二極化が進む

考察⑥公教育の機能不全

では、あと三つの考察を加えていきたい。


考察⑦ 教師の選別が始まる

アフターコロナにおいて、学校内のICT機器利活用がより一層進んでくることだろう。文科省のGIGAスクール構想における一人1台のコンピューター配備も今年度中に完了していくという方針を出したようだ。ICT機器の効果的な活用と従来の教授法の両輪での教育が求められることになる。

さて、ここで問題が出てくるのがICT機器を使いこなせない教師が一定数出てくるのではないかという懸念だ。教師に限ったことではない。会社員も今やIT機器がないと会社内、社会の中で淘汰されていく。ただ、この問題は学校内ではより顕著に表れる。教師という職業の特異性か、学校内にはICTスキル、リテラシーが低い先生が非常に多い傾向にある。あくまで傾向であるが。おそらく、原因は学校内にデジタルを利用する要素が少ないからだと思う。アフターコロナ時代において、ICT利活用の流れは間違いなく加速してくる。活用できる教師、活用できない教師の差は開いていくだろう。教師の選別、ひいては学校間の選別が始まるかもしれない。


考察⑧ 学校の選別が始まる

教師の選別が始まろうとしている。力のない教師は淘汰されていく。同様の動きが学校という組織にも起こり得ることが想定される。指導力のない学校、理念のない学校、評判の悪い学校が淘汰されていく。学力の二極化だけでなく、教師の二極化、さらには学校の二極化も進んでいくかもしれない。

しかし、教師や学校は公教育という盾に守られている。子どもは自由に学校を選ぶことができない。一定の年齢になれば居住エリアの学校へ自動的に進学する。極端なことを言えば、力のない学校の、力のない教師の授業を受ける子どもが毎年一定数以上存在している。また、補助金という形で学校の運営、経営が賄われている。公教育の特性上、どの子どもにも均質な教育を受ける義務があるので、社会インフラとして当然の教育システムかと思う。しかし、この問題の本質を見ていくと、教師の「危機感の欠如」を醸成しやすいという根源的な問題をはらんでいる。行政や市民により守られていることが、かえって学校システムに甘えを作っている。昔からの変わらない教授方法、社会との接点の少なさ(学校内のみの自治)など、行政や市民から守られている分、改善するべきことは改善することが必要なのかもしれない。社会の急流に合わせて変化している学校は、こんな新しい取り組みもやっているのかと関心する。(その種の取り組みには大抵ICTが絡んでいる。)感覚的ではあるが、生徒が社会に出た時に「自ら仕事を創れる人材」として活躍することが想像できる状態と言ったらいいのかもしれない。一方、社会の急流に無頓着な学校は、今どきまだこんなことやっているの?何時代?と思えることもある。(大抵アナログなことをやっている傾向が強い。」この流れは、アフターコロナにおいて、より一層急加速してくることだろう。変わらない学校、変われない学校は淘汰されるべきである、が自論だ。


考察⑨ 生徒・保護者の見る目がよりシビアになる

当然のことではあるが、これだけ長い期間学校を離れると学校の存在意義を考えざるを得ない。早く学校に行きたい、友達と会いたい、勉強をしたいという論調が多いのは幸いだ。学校はなくてはならない日常の社会システムだということをこれほどまで感じたことはない。

では、次の問題は生徒や保護者が学校に何を求めているかという視点だ。現時点ではステイホームを強制されている。そのため、早く学校に通って生活習慣を直したいという社会インフラとしての役割や、友達に会いたいという交流の場としての学校システム、また日中の子どもの学びの場としての機能もあるだろう。様々な学校の役割・機能がある中で、先のも述べたが、学習面は学校の機能不全が顕著だ。学校に代わり、民間企業が様々な教育サービスをステイホーム下で出している。その内容は充実のラインナップだ。学習面において、学校の助けが期待できない、むしろ何もやってくれないと思っている保護者もいることだろう。そして、そうであれば民間サービスに頼らざるを得ないという保護者心理に拍車がかかることは容易に想像できる。アフターコロナ時代、生徒や保護者はよりシビアな目で学校システム、特に学習面の役割を見ることは間違いない。


以上、アフターコロナを見据えて、今後の教育がどのように変わっていくのかを私なりに推測してみた。

次のステップは、変化が求められる教育界の中で、取り残されないために、私が取り組むことをまとめてみたい。思っていても、何も行動できなければ私自身も取り残され淘汰されていく一人になってしまう。どうにかしがみつき、新しい時代に生き残れる人材にならなければならない。

そのためにできること、やるべきこと、実行計画を作っていく。