生きてるだけで、愛。

私こういう映画見てると、
どんだけ鬱で毎日生きづらくて生きるのが苦しい人でもそんな自分を「愛してくれる人」がいる、ていう事実に胸がざわついてそんな自分に落ち込むんですけど。
この映画はそんなことなかった。そんなことなかった理由を書きたくて、書きたくて書きたくて
noteはじめて見たんですけど書き切れるんだろうか。
それぐらい2人が過ごしている2時間は私にとっては、ぴかぴかしてた。

趣里さん演じるヤスコが、鬱ながらも頑張って守りたいとまで、やっと思えたバイト先の空気が、一瞬で崩れていくシーンが、こちらまで窒息しそうな程うまく息が吸えない圧迫感に包まれていて彼女の生き辛さに涙が止まらなかった、わたしは。
トイレのウォシュレット、が、怖いんですって。
ヤスコは。
水は、出でくる水圧を間違えると鉄ですら切ってしまうモノだから、もし、ウォシュレットの水圧が間違えて出てきて自分を真っ二つにしたら、と思うと怖くてウォシュレットが押せなくてトイレに30分もかかってしまう、そう言うんです。
でもこれ彼女の生き方そのままみたいなんですよ。
彼女自体は「水」のように何にも染まってなくて、染まってないからこそ時々の感情に身を任せてしまうし、染まってないからそれを塞き止める理性もない。
彼女を、怖がっているのは誰でもなく彼女自身で、だから彼女はウォシュレットが怖いことを分かってくれない事実がやっぱり彼女を受け止めてくれない事実へと直感的に繋がってわけわかんなくなっちゃったんだと思う。
「私たちは家族みたいなもんでしょ」と言ったその口で、自分を拒絶されている哀しさ。
ヤスコがトイレに籠り、ドアを殴るたびにそんな哀しさにまみれて泣き叫んでいる様に聴こえる。
ヤスコは、バイトの人たちとそんな感じで、真っ二つに決裂したあと、身につけていた衣服を脱ぎながら爆速で走っていくんですけど、その衣服を津奈木(菅田将暉)が必死に追いかけながら拾っていくんです。
ここ!!!めっっっっちゃよくないですか!!
ヤスコは彼氏である、津奈木の事を「優しくない」ってよく言うんですよ作中で。
でも、彼女が大事にしたかった場所が壊れちゃって、生まれたままの赤ちゃんの様な姿に戻って、泣いて縋れる場所は結局津奈木しかないっていう。
むり泣いちゃいます、こんなの。
彼女が脱いで行った衣服を拾っていく津奈木の顔は今までで一番彼女のことを考えていてやさしくて、彼女が相手にちゃんと届ききれなかった感情を、零れ落ちてしまった感情を拾ってくれてるんだな、津奈木は。
津奈木が彼女を愛してるんだって、
ただの興味本位で彼女といたんじゃなかったと、
私はこの作中で初めて安心して息を吸えたシーンだったように思います。
あとはね、津奈木が2人の跡をついてきた元カノに向かって
なんでここにいるの?
て言い放つシーンがあるんですけど、その言い方が
あ、津奈木の世界は津奈木とヤスコだけで成立してたんだな、てわかる言い方で
やっぱり、ふたりの世界は歪だけどふたりがいるだけで成立してたんだって分かるから
好きでした、すごく。

て言いたいだけのnoteでした。

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