鋳型と粒子

人の形、をしてしまうと言葉が言葉でしかなくなって(一つの感情に一つの言葉しかあてはまらなくなり)、音楽がバックグラウンドとしか見なされなくなる。
そんな風にカッチリした人の形になってる自分と、霊性感覚を持った自分とが両方居る。同時に発現されることはないが。
システムでしかない、機械的な自分/離散・集合を繰り返す、粒子体のような自分。
社会・人間の箱庭に居る自分/万物を感じている自分。
もちろん今日はどっちにしよう、とどちらかを選ぶ事はできない。
システム化してる時の自分が、霊性感覚を持ってる時の自分の書いた言葉を見ても、何を言っているのかがわからない。(質感を言葉で残しても、その時の感じを完全に無くしたとき再び立ち上げるには言葉だけでは足りない)