食品ロスと食の未来

世界人口が80億人に近づき、食料を含めた生活資源の枯渇への懸念は益々高まっている。等差級数的にしか増加しない食料は人口増加に追いつかず、必然的に食料が不足し平等社会の弊害になる事がT.R.マルサスの「人口論」によって指摘され話題となったのは1700年代である。化学肥料の登場などによって一時的に解決したかのように思われた懸念も、その後、世界人口の増加に歯止めがかかる事はなく、飢餓人口は近年また増加傾向にある。

 昨今、ゲノム編集など更に革新的技術が生まれ、食料や栄養不足との闘いを人類は今も続けているが、もはや環境や人体への長期的な影響や安全性などは十分に検証される事なく市場に流通し、経済の自由化も相まって、疑わしきものは規制するという予防原則はより軽視される傾向にあるように思える。

 温暖化による気候変動などの影響もあり、国際的に食料安全保障が課題となって来ている中、食料の生産性の向上と安定供給と同様に注目されはじめているのが食品ロスの問題である。

 2011年に国際連合食料農業機関(FAO)が、世界で生産されている食料の3分の1が食べられずに失われていると発表し、大きな話題となった。日本においても、農林水産省の調査によると毎年600万トンを超える食品が、食べられずに廃棄されており、食品ロスの削減を推進する法案が日本においても成立した事は記憶に新しい。

 食料問題を考えるにあたって忘れてはいけないのは、世界人口を補うのに必要な食糧は今も十分に生産されており、これは低迷する食料自給率が課題とされている日本においても、カロリーベースで考えれば同様であるという事だ。

 日本では食品ロスは「まだ食べることができるけれど廃棄される食品」と定義されている。一見非常に分かりやすいが、市場に流通する以前に減耗されている食品はカウントされず、調理の際に家庭で発生する食品端材はカウントするなど、その定義は曖昧である。一方で国際的にはFood Loss(食品ロス)とFood Waste(食品廃棄物) は明確に分けて議論される事が多い。

 食品ロス(Food Loss)とは本来、食用として人の手に渡る前、もしくは市場に流通する以前に意図せずロス(減損)してしまう食品を主に表す言葉であり、日本で“食品ロス”とされる一度食品として流通しているにも関わらず人の意思や商慣習などによって破棄される食品は、国際的にはFood Waste(食品廃棄物)を指す。

 この2つの分類は、今年5月に公布された“食品ロスの削減の推進に関する法律”においても分けて考えられていないが、それぞれ対策が全く異なる事から、今後具体的な施策を議論していく際には分けて考えると、議論を整理しやすくなるであろう。

 日本の食料安全保障をFood Lossで考える場合、特に国内の生産者に目を向け気候変動への対策や規格外品、輸送手段、保管方法などを議論する必要がある。労働力不足や耕作放棄地の活用もこの議論に入る。また、Food Wasteという点から考えるのであれば、市民への啓発、日本の商慣習である3分の1ルールや、賞味期限/消費期限についての議論、鮮度を保つ包材の技術革新などが必要になる。

 フードバンクは余剰食品を必要としている施設や人に橋渡しをするインフラ的機能として、市民活動を中心に近年100団体前後が国内で活動をしている。レストランの食べ残しを持ち帰るドギーバックの普及や、食品関連企業から子ども食堂への余剰食品の寄贈など、余剰食品を有効活用しようという市民の取り組みが、現在日本では急速に活性化している。しかし、これらの取り組みは食品の価値、そして食品ロス問題や貧困問題の啓発という質的一面では有効であるが、そのほとんどがボランティアによる取り組みである為、物流や保管にリソースを割く事ができず、取り扱い量は国内の食品ロスとされる量の0.1%にも満たない。フードサプライチェーンの至る所で発生する余剰食品を、食品の本来の使命である人の食用としてどのように有効活用できるかは、市民活動だけに委ねず、予算化を含め国として本気で議論していくべき課題である。

 飢饉は民主主義国家では発生しないというのは、ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センの有名な仮説である。日本においても民主主義が機能している限りは、飢饉のように大勢の人が餓死するような社会にはすぐには至らないであろう。しかし日本の食料自給率を考えると、昨今、特に顕著である武力ではなく貿易による政治的紛争によって、いつ日本も現在の飽食の時代が終焉しても不思議ではない。 

 むしろ、地球という限られた資源の中で人類がとうの昔に“成長の限界”を超え、世界人口が増え続けているにも関わらず飽食状態にある日本の現状の方が異常であるのかもしれない。余剰となっている食品はリサイクルするのではなく本来の目的である食用として有効活用する事で食品ロスそのものの発生を抑制し、“食べられるもの、食べるべきものを、無駄なく食べる”事への議論を深める必要がある。同時に、今存在しない全ての問題を解決する革新的技術が天才によって生み出されるのを待つだけでなく、200年以上前から議論されている人口増加と食糧不足への課題へ、各国がそれぞれどのような役割を果たせるのか、現実的な議論を着実に進めていってほしい。