安心・安全な○○
こんにちは。ホワイトボックス(株)コンサルティング部の阿部です。
「安心・安全な○○」という言葉は、あらゆるシーンで使われます。医療や食品など命や健康に直結するものから、公共サービスに至るまで「安心・安全」であることは社会生活を送るうえで欠かせない条件といえます。
ただ、あまりに抽象的なこの言葉。最近では、安心・安全というフレーズをつければ、とりあえずは恰好がつく、といった風潮すら見受けられます。
では、安心・安全とは何か。文部科学省が提唱する「安全・安心な社会の概念」の言葉を借りれば、安心は「個人の主観的な判断に大きく依存するもの。人が知識・経験を通じて予測している状況と大きく異なる状況にならないと信じていること、自分が予想しないことは起きないと信じ、何かあったとしても受容できると信じていること」。
安全とは「人とその共同体への損傷、ならびに人、組織、公共の所有物に損害がないと客観的に判断されることである(ここでいう所有物には無形のものも含まれる)」と定義されています。
要は、安全は客観的に測ることができるもの、安心は個人の主観に帰属する、ということなのでしょう。
上記を踏まえれば、職場の安全は経験則による積み上げと対策があればあるほど担保されそうですが、安心は個人に拠らざるを得ないため、絶えず不安定な状態にあるといえそうです。人は安心していたいから、自らの知識や経験にない変化は好まない性質があるのかもしれません。
一方で、安心が個人の知識や経験を通して測るモノサシであるならば、職員の知識や経験を増やし水準のバラつきを少なくしていくことが、よりレベルの高い安心ということに繋がるのではないでしょうか。
安心・安全な職場環境をつくるには、標語による抽象概念などではなく、ましてや一部の人間による指導管理の下に達成できるものでもなく、職員への教育研修という実体験を通じて行われることが必要なのではないかと考えています。
2021.11.27 阿部 勇司
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