生きるということと、死ぬということ

 この4月まで、私は東京で暮らしていた。コロナの影響でスッタモンダがあり、職を失くした。家賃を払い続ける貯金もなく、実家の大阪に戻った。まぁ、いづれは大阪に帰るつもりでいたので、いい機会だったのかもしれない。

 実家には、元気な母と、寝たきりの父がいる。脳が萎縮する難病で運動機能が低下するという病気だ。尿はお腹からチューブを通し、便はオムツ。数年前に患った脳梗塞で左手は動かない。おまけに認知症。動くのは、口と右手だけ。

 この6年、母親が介護してきた。父の身長は181cm。要介護5の大変な病気の巨人を、148cmの小人族の母が介護をしている。だが、意外にも母は平気で、小さな子をあやすように父の面倒を見ている。父は、週に2度介護のデイサービスに行く。以前は行きも帰りの2人の介護士さんが来て、ベットから車椅子への移動を行なってくれたのだが、コロナの影響で、家の中へは入れなくなった。ちょうど、そんな折り、私が実家に戻った。私の役目は、父をベッドから車椅子へ移動させること。排尿チューブが邪魔で、なかなか難しいが、ずいぶんうまくなった。

 父は、ご飯を食べて寝るだけの生活。認知症になって、よかったのかもしれない。まともに頭が働いていたら、気がおかしくなってしまうだろう。こんな姿の父の生きている意味は?

 しかし、我が家まで足を運んでくださる看護師さん、リハビリの先生、デイサービスの介護士さん方など、こんなネタキリボケロウジンに手厚く優しく接してくれている。生きている価値があるかどうかわからない、ネタキリボケロウジンに、だ。

 三浦春馬君が亡くなった。これまでの功績、これからの活躍。過去も未来も、彼の生きている価値は、うちの父よりも遥かに高い。父は周りから手厚い看護を受け、春馬くんは自ら命を経った。この国には、うちの父を助けるだけの力があるのだから、春馬くんを生かせる優しさも十分にあるだろう。俺の父親は、寝たきりで、認知症だが、ちゃんと生かしてもらっているんだから。

 私は父が苦手だった。多分、父が病気ではなければ、実家には戻っていなかっただろう。中学、高校生のころ、仕事が休みで父が家にいると、自室にこもり、できるだけ父にあわないようにしていた。

父が嫌いなわけではない。

 私が小学校低学年くらいのころ、祖母の家に家族で遊びに行った。夜になり、祖母宅のお風呂が壊れていて、父と兄とともに、近くの銭湯へ行った。湯船に浸かっていると、近所の子供らしき兄妹が入ってきた。お兄ちゃんのほうは当時の私より少し大きいくらい。妹は私より幼かった。お兄ちゃんのほうが、妹の頭を洗ってあげていた。しかし、妹はシャンプーが目に入って「痛い痛い」と泣き出した。お兄ちゃんは、「うるさい、泣くな」と怒っている。周りの大人たちは、やかましい兄妹に嫌な顔をしていた。

そのとき、湯船に浸かっていた181cmの巨人が立ち上がった。
「ようし、おっちゃん、洗ったろ!」
父は、その小さな女の子を膝にのせ、上向きで頭を下げ、シャンプーが目に入らないように髪を洗ってあげた。
「気持ちええやろー」
小さな女の子は、気持ちよさそうに、じっと見ず知らずの巨人の顔を見つめていた。

幼い私は思った・・・

「おとなになったら、こんな人になりたいな・・・」

 そして、私は大人になり、学習塾で子供たちに勉強を教える仕事に就いた。今でも、私の目標は、あの銭湯のでっかいおっちゃんだ。
でっかいおっちゃんは、起き上がることもできず、ボケが始まって、訳がわからんことばかり言ってるけど、ちゃんと私の目標なのだ。こんな父にもちゃんと生きている意味がある。


情けは人のためならず。いつか自分に返ってくる。父がちゃんと証明してくれた。今、父が生かしてもらっているのは、父が元気なときに自ら育てた「情」が返ってきたのだと思う。

春馬くんの死は、一部、ネットの誹謗中傷が原因ではないかともささやかれています。
情けは人のためならず。その逆もあり。誹謗中傷は、いつか自分に返ってきます。絶対に、だ! 

うちのオトンが黙ってへんで!


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