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Nuyorican Soul faniaの熱さ

プロレラーの故マサ斎藤氏は喧嘩が強かったとか。そんな彼が言ってたのが「プエルトリカンには喧嘩を売るな。彼等の民族の団結力は凄まじく仮に仲間がやられたら必ず後でファミリーが仕返しをする。」との事。

勿論、アメリカでの歴史的な背景があるかもしれませんがある意味、愛情深い民族なのかもしれませんね。

このプエルトリカンは60年代からNYを中心に音楽やダンスに多大な功績を残してます。


1959年にキューバ革命が起こりアメリカとは完全に国交を断絶。(今まさにミサイルをアメリカに向けていたキューバ。其れも若いリーダーであるケネディ大統領に対して。世界の緊張感も半端ない)

そのキューバの代わりにアメリカでラテンミュージックを支えたのがニューヨーク在住のプエルトリカン=Nuyorican (ニューヨリカン)

(キューバの代役は最初は大変だったそうです。それはそれはハードルが高かったはず。)

ブラックパンサーに影響を受けて60年代に立ち上げたザ・ヤングローズ(自衛組織)やら、公民権運動の影響によるのか自我の意識(=アイデンティティ)が高まっていってます。

そんな折に生まれたレーベルがFANIA(1964年)

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NY在住と言う事で彼等が身近に慣れ親したんだsoulmusic、funk、popsがベースのラテンミュージックが生まれる。

此れは1971年、NYのマンハッタンのクラブ、”チーター”で行われたライヴの映像でありアルバムも存在します。レーベルの創立者の1人でありルイ・ベガの叔父でもあるエクトル・ラボも勿論出演してます。

もしFANIAを知らない方が居ましたら参加までに

ルイ・ベガの叔父エクトル・ラボ

ウィリーコロン

そしてboogalooと言えばジョー・バターン

ちょっとおまけのルイ・ベガからはブラジルのPOPSを独自の視点から(此れはFANIAの血だなーー)


Nuyorican Soul

其れはプエルトリカンである彼等のアイデンティティであり其れはあたかもjazzの歴史の中でのBeBopが生まれた時と同じく模索しながら自分達の価値を世に知らしめた熱い想いかもしれませんね。



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