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マバイブルⅡ 概要その2


{マバイブルⅡ}【倒錯の思想】はその倒錯ぶり!?は、まず、2つのつまり、二大倒錯山系にわけています。

一つは、反日本語論。 もう一つは、死は存在しない論です。

どちらも著者の倒錯ぶりを表す極めつけの内容となっています。


1、反日本語論、そして日本語は廃止にすべきだ。

いきなりですが、過激な倒錯ぶりで恐縮ですが、

提言、[海岸線や都道府県の複雑な境界線は日本人の脳のシワだ] なんとなくですがそう思うんです。

過去の反省って言いますが、反省って一回すればそれで終わりなのかそれともずっとしてるってことなのかな?そして、社交辞令の如く毎度繰り返される、過去の反省を踏まえて、 その経験を生かし責任~。社交辞令じゃないですが、およそこの反省~経験~責任ほど実のない言葉はない。

日本語に於いて、過去というのは現在にとっての過去なのではないのかとなんとなく思いました。日本語というのは、時制があいまいなんです。

たとえば「今、食べた」というのは、今なのか過去なのかという事なのです。そしてほとんどの欧米語というのは、主語の次に時制を伴って、物事を判断するつまり肯定か否定かの強烈な助詞がくるようになっている。物事を否な可かつまり時制というのはそれくらい重要だという事です。それに引き換え日本語というのは、主語の次にはたとえば誰とでとかどこへとか関係詞がくるようになっている。そして日本語とは世界で稀にみる、実は最初から誰と話しているかを想定している言語なのである。この事の意味合いは限り無く大きい。

そして、欧米語は主語の次、強烈な断定の時制を伴う助詞がくるという重要さ加減から、意思の疎通を図る、またアクセントがある、それは時を刻む、それは今まさにこの時にあなたに伝えたいというような、欧米語というのはまさに意思の疎通を図る事、その機能を念頭においた時を刻む言語である、という事はわかりやすい。

それに対して日本語というのは主語の順列からも、またそれは最初から誰を想定し念頭におくかを想定する事に重要性をおいた、関係性の言語である。

この事の相違は本当に限り無く大き過ぎるくらいに大きい。たとえば口の利き方を知らないというのは、常識を知らないというのと同じくらいの侮蔑の意味合いであり、そういう常識の無い人とは付き合いたくない、関わりたくない、取り引き停止を前提としているリーチがかかっている事を意味している。それでも矯正修正がなされなかった場合は、彼の周囲の人間からは抹殺される。またそうしかるべき、そうされて当然なのである。やはり礼儀をわきまえないというのは、日本の社会にとって当然のような村八分社会なのである。

差別偏見ではない礼儀なのであり、そしてそれは義理とかそういう事にもつながっていく。

また、それは社交辞令、根回し気配り心配り、そしてKY空気を読むなどとともに、日本独特の風習もはや文化として、世界でもまれにみるきめ細かい行き届いたサービスネットワーク、商品開発につながり生かされている事は言うまでもない事である。

日本に来た外人も日本語を使う途端に変な外人になってしまうので、日本語という意味はことさら大きい。もっと言おう。たとえば、就職試験の面接なんかでの質問されている事の答えは実はほぼ決まっているのである

たとえば、毎年のようにその会社が主催でゴルフコンペなんかがもようされるような会社で、そうとも知らず初っぱなから、私はゴルフはあまり好きではないですのような発言をしたらどうなるのか・・・

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