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『侍ジャイアンツ』がフィナーレ。【後編】巨人V10ならず長嶋茂雄引退。番場蛮もまたグラウンドを去った。(「昭和40年男」2019年2月号・再検証 昭和49年より)

連覇を続ける巨人黄金期に登場した熱血破天荒マンガ

 「いまから体質改善が必要なのだ 紳士ジャイアンツにサムライの血の導入が!!」次世代のチーム活性化のために野性味ある逸材を求める川上監督の熱い叫びからこのマンガは幕を上げた。71年36号、週刊少年ジャンプで連載が開始されたこの年は巨人が前人未到の6連覇を達成した翌年で、リーグ優勝も決定的だった黄金期。その前年末、原作者の梶原一騎は自身の出世作といえる大ヒットマンガ『巨人の星』を完結させたばかりであった。一方週刊少年ジャンプの出版元の集英社が巨人との独占契約を結んでいたことで、球団の全面協力のもと新しい野球マンガの連載企画が立ち上がり、その原作者として梶原に白羽の矢が立ったという流れだ。
 コンビを組んだ井上コオは、これが初連載という新鋭のマンガ家で編集部内のオーディションによって選ばれた。作品が目指したのは、“巨人を神格化しない反骨心あふれる主人公”の物語を描くことで『巨人の星』とは異なる作品世界を創り出すこと。その主人公として誕生した番場蛮は、当初の構想では型破りなプレーで巨人野球のスタイルに新たな旋風を巻き起こしつつ連覇を支える存在となり、やがて米国大リーグを倒すというものだった。星飛雄馬をはじめとする個性的なキャラクターたちとの群像劇のような『巨人の星』に対して、番場蛮を起爆剤として試合の面白さ・醍醐味・相手チームとの駆け引きなどを見せる集団劇として『侍ジャイアンツ』は描かれたのだ。
 しかし71年から72年にかけて連載が続くなかで連覇の記録を更新した巨人だが、ドラフト制度によって若手の戦力補強も容易ではなくなり長嶋・王といったレギュラーメンバーの高齢化も始まったことで、以前のような圧倒的な強さでペナントレースを勝ち抜けられなくなる。巨人の不調はマンガの展開にも影響を及ぼし、阪神・中日と三つ巴の大混戦を繰り広げた73年には連載終了を念頭に描き進められたという。阪神・江夏豊の死球を脇腹に受けた番場の長期欠場というやや唐突な流れで連載を一旦休止(第一部完)したのもその影響だろう。秋からテレビアニメの放送が始まる裏事情もあって連載は継続されるが、その作品延命が逆に、史実である巨人の王座死守の苦しみを番場ひとりに背負わせた結末となってしまったのだ。

さらばサムライ!命をかけた三連投三連勝

 オールスター戦の檜舞台で、南海(現・ソフトバンク)の野村克也により魔球・ハラキリシュートの欠点を暴かれた番場は二軍に落とされてしまう。しかし、彼に挫折している時間はない。10連覇をかけた74年のペナントレースは、もはや一つの負けも許されない緊急事態だ。先輩・八幡太郎平の協力のもと、新魔球・分身魔球を引っさげ再びマウンドに返り咲いた番場は巨人勝ち星の切り札として大車輪の活躍を続けていく。そしてリーグ優勝が中日との一騎打ちで争われる様相となった天王山の三連戦で、意外きわまるショッキングな結末を迎える。第一戦を完投勝利、二戦は5回からリリーフで勝利。そして運命の第三戦は7回からのリリーフ登板で、最後の打者・大砲万作9を三振に打ち取った。しかしその時。魔球の多投により体力の限界を超えたため心臓麻痺を起こした番場はマウンド上で絶命する。
 最終回が掲載されたのが74年42号。発売は9月17日火曜だから、アニメの最終回の2日後になる。この時点の巨人はまだV10達成の可能性はゼロではなかった。しかし、連載終了が決まり、“番場の死”という形でマンガの幕を下ろした梶原の真意はどこにあったのか?確かに結末は唐突だが、番場蛮というキャラクターには連載当初から常に“死”の影が見え隠れしていた。自ら望んで得た背番号4(=死)はサムライの心構えを記した『葉隠』にある一節「武士道とは死ぬこととと見つけたり」の教えに由来しており、「男が“死”をしょってなくて何ができるってこと!」「死にっぱなしにゃならねぇ…死んで生きるのがまことのサムライ!」「サムライはおのれをしるもののために死す!」などと公言している。さらにはハイジャンプ魔球の危機に際しては、身体を張った命がけの対抗策で乗り越える。そんな行動に川上監督も「番場はいずれマウンドで死ぬかもしれん…」と予感していた。主君が滅びる時に、忠義を尽くし命運を共にするのが武士の習わしならば、巨人が王座から陥落せんとするその最後の一瞬まで勝利を信じ、命を張って支え続けるその先には“死”という結末しかなかったのだろう。

V9の時代と巨人マンガの終焉

 奇しくも65年に始まり、昭和40年男の成長とリンクするV9時代は『巨人の星』に代表される巨人マンガというジャンルに活気があふれていた。目指す偉大な目標として、または打倒すべき敵として巨人は存在し、魔球を操る主人公が個性的なライバルたちと死闘を続け成長してゆくマンガが少年誌にいくつも連載されていた。『侍ジャイアンツ』は巨人マンガが活気のあった時代の最後の作品といえる。次世代のための新しい戦力として入団したはずの番場が、翌年監督となる長嶋のもとで活躍することなく物語が終わってしまったのは残念でならない。
 巨人との独占契約が続いた週刊少年ジャンプ誌上には連載終了の翌週から『炎の巨人』(※1)が連載開始。以降『悪たれ巨人』(※2)『スーパー巨人』(※3)と続くが、あの頃のような人気を得ることは叶わなかった。『侍ジャイアンツ』の完結、それは巨人のひとつの時代の終焉でもあり、巨人マンガというジャンルの終焉でもあったのかもしれない。(完)

※1:1974年~75年連載。原作:三枝四郎 画:竜崎遼児
※2:1976年~80年連載。画:高橋よしひろ
※3:1980年連載。原作:蕪木一生 画:田中つかさ

再検証コラム:よみがえった侍が三冠王に魔球で挑む

 マンガ版は主人公の死によって続編連載の可能性は失われた。しかし17年後の1991年、アルバイト情報誌『フロムエー』7号誌上にて番外編「よみがえれ侍」が掲載された(全2ページの見開き短編)。当時、原作者の梶原一騎は故人のために、コンビを組んだ井上コオのみで執筆された『侍ジャイアンツ』の後日談である。番場の妹・ユキの息子が藤田元司監督率いる巨人に入団し、中日戦にリリーフで初登板する。背番号4を背負ったその姿は番場の生き写しだ。八幡太郎平の指導によって体得したハイジャンプ魔球や大回転魔球、分身魔球で落合博満選手を三振に打ち取るストーリーだった。

第二回「侍ジャイアンツ」 を読む!

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巨人の星VS侍ジャイアンツ ~梶原一騎が描いた〝陰〟と〝陽〟の ど根性ストーリー~ を読む!