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帰ってきた斉藤さん

 吾輩は、斉田才である。実の名前は、まだ斎藤信久という。
こと、大阪では斉田才の名前の方が有名である。なんで芸名なんか私にあるかというと、これはペンネームだからというのではない。当時(1997年頃)まだ東京に在住で斉藤さんを名乗っていた頃は、ビーイング宣伝部に所属していて様々な媒体やレコード会社の方々と接触していた。
 ところが、突如大阪勤務、J-ROCKmagazineの二代目編集長をやれとの指令がくだり、こちらも同じ業界の方々との接触があるのでビーイングの社員だという身バレを防ぐために名前を変えろとのお達し。なんだかよく分からんままどさくさで当時映像部門にいた高野さんが大学時代の新聞部かなにかでペンネームとして使っていた名前を拝借したというわけだ。
 実際のところ斉田才としてのネーミングにたいして深い意味はない。現に編集長を降りる頃、「お前、新しい名前考えてやろうか?」なんて大幸さんに言われたくらいだ(オレは売り出し中のアーティストじゃないっつーに)
 ま、大阪へ移住するのと同時に斉田才という名前が浮上してきたわけで、そういう部分ではそれまでの東京ビーイング時代は斎藤君、大阪移住後のギザ時代は斉田さんという名前で覚えられてきて、区別がつきやすいといえばまぁそうかな。
 で、この20数年来圧倒的に公の場では斉田才という名前で動いていて、本名の斉藤姓を名乗る機会は、公的機関に行く時(区役所、医者、免許更新)くらいに限られていた(あとはごくプライベートで旅行とか、飲食の予約をするときくらい)
 ところが、この数ヶ月間、急激に公的機関にお世話になる状況が増えてしまった。医療機関はもとより、区役所、年金、保険、ハローワーク etc、、それに長年通っていた会社も出ちゃったもんだから、7月に入ってめっきり斉田才さんの影は薄くなった。
 代わりに帰ってきた斉藤信久さんが浮上してきた、というわけだ。
 これからはまた普通の、斎藤さんとしての新たな「第二の人生」が始まるというわけか? 知らんがな(笑)。
 いづれにせよ、どちらも愛着のある名前ではある。
 これからは戒名もせず、そのままの自然体でなるように呼ばれるとするか。
 風に吹かれて。

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