高座海軍工廠と台湾少年工
GoogleMapをうろうろしていたら、自宅からそう遠くないところに「台湾亭」という史跡があった。写真を見ると何やら中華風の建物。そのちかくに「台湾少年工慰霊碑」とある。
気になったので調べたらいろいろと発見があった。
高座海軍工廠
戦時中、相鉄線さがみ野駅の北に、広大な飛行機工場が建設された。さがみ野駅から現在の国道246号を超えて芹沢公園のあたりまで。大和市のサイトに解説があった。1943年に工事が始まり敷地30万坪、工員3万人、年間6,000機の生産能力を持つ工場として建設された。戦局の悪化で予定通りにはいかなかったようだが、戦闘機「雷電」を生産したとある。滑走路もある巨大な工場だったようだ。
このサイトに詳しい解説があった
芹沢公園
海軍工廠の広大な工場は大戦末期には当然、空襲のターゲットになった。そこで現在の芹沢公園の地下におおきな防空壕を掘り、工場機能を移そうとしたらしい。これは武蔵野の中島飛行機の工場を浅川の防空壕に移そうとしたのと同じ企てだ。
下記のサイトに詳しい解説と地図があった。Mapとリンクしていて面白い。
芹沢公園には今も壕がのこっており、その一つはなんとライトアップされて「雷電」の模型がおかれているらしい
台湾少年工
3万人もの工員を擁する工場を新規に作るといっても、当時の状況からして人員の確保が困難だったことは想像に難くない。そこで台湾から17〜19歳の少年を募集して送り込んだらしい。その数8,000名。40棟もの宿舎が建てられたらしい。
しかも、優秀な生徒を集めようとしたことからか、また工業高校?卒の資格も取れるということで待遇も良かったらしく、いわゆる強制徴用のようなものではなかったようだ。元工員たちにより記念の施設が1997年にたてられた。これが「台湾亭」ということらしい。
厚木空神社(深見神社)
小田急江ノ島線の反対側、深見神社。ここは終戦直後、厚木海軍基地内の神社(厚木空神社)に祀られていた戦死者名簿を密かに持ち出しここに移したらしい。
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