三浦戦跡めぐり
2022年月。三浦半島にいまも残る太平洋戦争の遺構をめぐる小ドライブ。
歴史をたどるドライブの車は、未来のEVにしました。
YOKOSUKA 軍港めぐり
遺構の前に、現代の海軍を。「YOKOSUKA軍港めぐり」は解説もわかりやすくて面白い。「もし海に落ちたら山の方に泳いでくださいね、反対側はアメリカですから」は案内の定番ネタ。
アメリカ側に泳ぎ着いても助けてくれるとは思うけどたぶん病院の保険は効かない。
横須賀バーガーとカレー
お昼は横須賀カレーとバーガー。炭水化物と炭水化物。軍港めぐりの乗り場の目の前のレストラン。
ベルニーの水
公園の名前になっているベルニーは、横須賀の外れの走水から横須賀へ水道を引く工事も指揮した。
観音崎水中聴測所跡
灯台で有名な観音崎公園にはいくつかの遺構が残る。岬の先にぽつんとたたずむコンクリートの小さな塔は「観音崎水中聴測所」跡。
戦時中、ここの下で海中の音を聴いて敵の接近を監視していた。
聴測所の近くには現在も自衛隊の施設がある。あの塔を使って海中から音を聞いてはいないだろうけど、水中マイクやソナーを使って今も監視を続けているのかもしれない。
観音崎公園にはいくつかトンネルがあるけれど、いかにも怪しいドアを埋めた跡が各所にある。
おそらく、戦時中にはこのあたりに網の目のようにトンネルが彫りめぐらされていたに違いない。そのうちの一部は今も使われているのかもしれない。
観音崎砲台跡
観音崎には、海に向かっていくつもの砲台が作られ、戦時中は大砲が海に向かってそびえていた。
砲台跡は探検するYoutube動画がある。
トンネルの入り口は空いているところもあるらしく、公園管理事務所が鍵を管理しているらしい。カメラを入れたトンネルに入った動画もあった
観音崎灯台
ここの建設にも、ベルニーが関わっていた。灯台の展示室にはベルニーの胸像があった。
近くには現代の灯台、海上交通管制センターの管制塔。
「震洋」桟橋遺構
油壷に移動。ここには特攻モータボート「震洋」の桟橋跡がある。
この周囲の水際にはコンクリートの杭らしきものが転々と残る。きっと桟橋がたくさんあったのだろう。
震洋はベニヤ板で作られた粗末なモーターボート。船首に爆薬を積む。エンジンはトヨタのトラックのもの。簡易な作りだったので6000隻以上作られ、南洋から沖縄、九州、ここ三浦や房総にも基地が作られた。油壺の基地にはおよそ50隻が配備、300人もの部隊だったらしい。
今のこる桟橋はわずかだけれど、当時は数十もの桟橋がならんでいたんだろう。最終的な「震洋」部隊の総数は5万名を超える。
帰ってから本を買って読みました。「神風」よりも遥かに大規模な特攻部隊ですが、粗雑な作りのため相次ぐ事故でうしなわれたり、多くは南洋に移動する船とともに沈められたりして、戦果は数隻の船を沈めたにとどまったとのこと。
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