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関岡英之の死を悼みます。

(10/29追記)
拙稿をFacebookの旧勤務先OB・OGのグループページでシェア致しました
ところ、彼の最初の職場での、国際金融市場で働く銀行マンとしての仕事
ぶりを彷彿させる思い出のコメントも頂きましたので、こちらでもその旨
ご報告させて頂きます。
(10/29追記ここまで)

こんばんは。今日もお疲れ様です。

今日も、個人的な話を書かせて頂きます。

私の最初の職場の同期で、1998年に退職し、学究とノンフィクション作家の道を選んだ関岡英之(せきおかひでゆき)君、Wikipediaの記述が正しければ、昨年2019年5月に虚血性心不全にて実家の用賀で亡くなったとあります。

「虚血性心不全」とは下記の虚血性心疾患と同義と思いますが、突然死の中で最も多い死因のようです。

短時間での心肺停止の場合、実際に家族や知人らがそばにいて直ちに救急
搬送してもほとんどの例で蘇生は稀ですので、助けることは極めて困難で
あるといわざるを得ません。

とありますので、仕方なかったと言わざるを得ませんが、それにしても...。

日本ウイグル協会のHPに、彼の死を追悼する記事が投稿されていました。

画像1

              (上記のHPの画像を借用しました。)


奥様の旧姓仁木さんも旧東京銀行の本店営業部外国為替課に居られ、私も
一時期同じ部署に配属されておりましたので、縁浅からぬ仲だったのですが、奥様は2011年東日本大震災の年に癌で亡くなったと聞いてます。
(上記のWikipediaにも同じ記述があります。)


もしかすると関岡は、愛する奥様の看病をする時間を確保するために、
サラリーマンを辞める、という選択をしたのかも知れません。
直接本人に確認した訳ではありませんが、そんな気がとてもします。

もしそうであったのなら、彼の著作をもっと購入して応援するとか、友人
知人に伝えて買ってもらうとか、彼が奥様の看病に専念できるように応援
すべきだったのです。


関岡が昨年5月に亡くなっていたことは、今日10月26日(月)の朝のFacebookのタイムラインで、彼の著書『拒否できない日本』を高評価してくださっている政治評論家の方が居たので、関岡は今は何しているのだろうとネットで調べて気付きました。

『拒否できない日本』出版後、メディアに登場した本人動画が見つかりました。


関岡君に再会したのは2012年4月、当時の勤務先の国会議員会館で、院内
勉強会に講師として呼ばれていたのを見つけ、参加させてもらいました。

2011年当時、彼は上記の著作の他、下記の『国家の存亡』も出版しており、その中で政権党であった民主党を激烈に批判していました。
勉強会後、彼に渡した私の名刺には、「民主党参議院議員〇〇秘書」と
書かれてましたので、それを見た彼が引き攣った顔つきだったのが忘れられません。
いや、もしチャンスがあれば、関岡が外から見て批判していた民主党の実情も余すところなく伝えられたし、党レベルの利害を超えて、わが国のためにはどうしたらよいか、忌憚ない意見交換がしたかったけど、彼の名刺には
肩書の「ノンフィクション作家」と携帯番号しか載っておらず、携帯に直接連絡して要望を伝えるのは、ためらってしまったのでした。

今にして思えば、自分の判断が間違いだったと気付かされます。
手遅れですが。

関岡に再会する前、当時の職場のひとつ上の先輩から、「関岡が本出してるぞ」と教えてもらったのが『国家の存亡』でした。

当時は買ったまま積読状態にしてしまい、本人に再会したときは、事前に
読む暇がありませんでした。
本人に再会してから、これを読み返して、本当に後悔というものは先に立たないのだな、と痛感しました。

当時、自分が所属している組織を徹底的に批判されてしまってはいたのですが、その時には、奥様の病状も相当進んでしまっていたのでしょうし、
9年以上前に読んだので詳細は覚えてませんが、国を想う気持ちに満ち溢れた筆致であったことは、今でも覚えています。

日本にとって、惜しい人材を失ってしまいました。
関岡英之のように、想いを形にできる者がもっと多く居たら、この国の
将来は、少しは違ったものになる筈ですから。


そして、実は、彼に再会したとき、仁木さんが既にその前年に亡くなって
いたことも知らず、私はお悔やみの言葉もかけてあげられなかったのでした。

そして今度も、職場同期の死を、1年半近く知らずにおりました。


知らなかったこととはいえ、まるで彼と彼の奥様を、見殺しにしてしまったような後ろめたさが残ります。


関岡、本当に申し訳なかったね。


合掌。

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