ドキュメンタリー映画『ヒロシマへの誓い』を見て。
こんばんは。今日もお疲れ様です。
先月も今月もドタバタしている間に、あっという間に過ぎてしまいました。
そういえば、今月もあとわずか1週間で、それまでに自分の政治資金報告書も提出しなければなりません(汗。
現在は立候補する予定もありませんので、自分の政治資金団体を維持する
必要性はないのですが、これを続けていると、裏金議員とかの言い分が如何に間違ってるか、経験から指摘することが出来ますので、団体閉めずに
続けております。
そんな私ですが、サーロー節子さんの英語の演説にはとても感動しました。
ネイティブスピーカーであるご主人の支援と、同じ大学の後輩との二人三脚での活動とはいえ、日本人の政治的発言と反核活動が、これほど世界の人々に受け入れられ、賞賛を浴びたのは、他に例を見ません。
この映画の自主上映にこぎつけた実行委員の人から、「野副さん、この映画見るの初めて?泣くよ」と上映前に言われましたが、本当に、途中から感動の涙が止まりませんでした。
今日は、その感想を書きます。
1.被爆と被曝の違い
本題に入る前に、気になった点を整理しておきます。
通常、被爆者というと、空襲や攻撃を受けた人のことを言います。
広島と長崎のヒバクシャは、放射線に晒された人、という意味から、
正しくは「被曝者」の方の漢字を使います。
でも、上記の画像にもある通り、被爆者と被曝者は、今日ではすっかり同じ意味で使われてます。
一方、「曝」は常用漢字に指定されてないので、「被ばく者」と書くこともありますが、最近はそんな区別も見られなくなり、被爆、しか使われなく
なってきています。
でも「ヒバクシャ」はそのまま海外でも英語で「hibakusya」で通じますので、「曝」を常用漢字に指定してないのは文部科学省の怠慢じゃないですかね。
日本の役所なら、もう少し日本語の言葉遣いについて、もう少し配慮して
してもらいたいものです。
第二次世界大戦中、米軍の戦闘機で直接被爆した民間人は被爆者で、広島と長崎に投下された原爆で放射線被害を受けた人々は被曝者ですから。
2.サーロー節子さんの半生
Wikipediaに詳しく書いてありますが、このドキュメンタリー映画で紹介されていた内容も含め、要約させて頂きます。
広島女学院(中学)在学中に学徒動員され、暗号解読作業の訓練を受けた後、正規の暗号解読助手になって最初の日が運命の1945年8月6日でした。広島に投下された原子爆弾の爆心地から1.8㎞離れた陸軍司令部で被爆、木造の建物の下敷きになったのですが男性教官(?)の叱咤激励する声に励まされて自力で這い出し、九死に一生を得ました。このとき8人の親族や多くの同窓生計351人を失っています。被曝したのは13歳の時でした。
広島女学院大学卒業後、22歳の時に米国に留学、カナダから来ていた英語
教師と出会い、結婚します。夫婦でトロントに移住し、トロント大学で社会福祉事業の修士号を取得しソーシャルワーカーとなります。
当地の友人らとともに、広島・長崎の被爆写真パネルの展示など世論を喚起する活動を始め、後にカナダ・米国・英国・日本などで被爆体験を語り
核兵器廃絶を訴えてきました。そして、核兵器禁止条約(Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)採択に際して、多くの国の代表が
サーロー節子さんの演説によって心を動かされたと述べています。
サーロー節子さんはこれら一連の反核運動を、ICAN()のキャンペーン担当者として活動してきたのですが、その功績もあり、ICANは2017年のノーベル平和賞を受賞します。
なお、Wikipediaのサーロー節子さんの記述は、英語版の方がより詳細に記述されていますので、英語読める方はぜひそちらをご覧ください。
日本語版のWikipediaも、そちらを翻訳して上書きした方がいいですね。
3. サーロー節子さんの、その歴史的な演説のテキストはどこ?
このドキュメンタリー映画ではしっかり一部紹介されていたのですが、その多くの国の代表の心を動かしたサーロー節子さんの演説のテキスト、改めて全文を読み返したいと思ったのですが、これがネットで見当たりません。
サーロー節子さんは、もちろん政治家ではないですが、意志を持って渡米し、真剣に英語を勉強したのでしょう。そして、ご主人のジム・サーロー氏が存命中の間は、ご主人が彼女のスピーチ原稿をネイティブチェックして
おられたそうです。
そしてご主人の早逝後、サーロー節子さんの歴史的演説を一番喜んだのは、もちろん天国のご主人だったことでしょう。
彼女のこの功績によって、2024年1月16日現在でTPNW署名国は93か国・
地域に達し、うち批准したのが70か国・地域となりました(数値は広島市の
ホームページより)。いずれ国連全加盟国の過半数がTPNWを批准することになるでしょう。
ICANのホームページで、サーロー節子さんを紹介しているページに概要だけ見つかりましたので、そちらを紹介させて頂きます。
2014年2月にメキシコのナヤリットで開催された人道会議での演説の一部:
この会議では、146か国から参加がありました。同じく2014年12月にはウィーンで参加国は158に増えました:
続く2016年5月、同じウィーンで開催された国連の作業部会で、サーロー
節子さんは核兵器禁止条約を締結するための会議を2017年に招集することに合意するよう各国に促しました。
2016年8月に発表された作業部会の報告書は、交渉の実施義務を定める歴史的な国連総会決議の採択につながりました。
2017年3月、サーロー節子は、このTPNW条約が「世界を変える」可能性があること、そしてそうなることを信じて疑わないと代表団に語りました。
翻訳されているか不明ですが、こちらがその全文の様です。
そして2017年7月7日、122か国がNPTW発効に賛成票を投じました。その日のスピーチ:
「私はこの日を70年間待っておりました。そして、ついにこの日が来たことに大喜びしています。これは核兵器の終わりの始まりです。世界中の
リーダーの皆さま、もしこの地球を愛するならば、この条約に署名して
ください。核兵器は常に不道徳でした。そして今や違法でもあります。共に進み、世界を変えましょう。」
4.その他のリンクのまとめ
今回自主上映された、映画のリンク:
サーロー節子さんが、実は遠縁にあたる岸田文雄総理に請願:
ノーベル平和賞受賞時のスピーチ全文(左の英文が原文で、右の日本語は訳文):
https://www.shin-eiken.com/info/2017/img/ThurlowSetsukoSpeech_v1.1.pdf
以上、ざっくりではありますが、今日初めて拝見した自主上映会の感動が
薄れる前に、感想をしたためさせて頂きました。
では、また。
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