保育園の子供の声はうるさいか? 第3章の2

 保育園の造成が、こどもの声がうるさいからといって中止されたとの記事が流れた。静穏な住民生活に支障が出るという地域住民の反対意見からである。これに賛否両論あるのは必然である。総論賛成、各論反対という誰もが抱く心理状況について、いろいろ模索するには恰好な題材である。
 今回の総論賛成という立場は、自治体が決定したことに対する反対論である。保育園が不足しているという社会情勢の中で、保育園造成という好ましい動向に敢えてストップをかけるとは何事だ。福祉や社会行政面から当然といえる事業を覆すとはけしからん決定だ。子供やその親の立場も考えない自分勝手な判断だ。自分たちの生活環境から子供たちを追い出そうということか。自分たちが子供の養育の役割を終えて、子供たちと縁が切れたとでも言うのか。自分たちの地域から子供たちがいなくなると、自分たちが面倒を見てもらえなくなることがわかっていない短絡的な見方だ。これまでの自分たちの年金だけで生活ができるわけでなく、これから働く人たちからのフィードバックもあることがわかっていないのか。などなど、ツイッター的意見を挙げれば枚挙に暇がない。
 しかし、各論の立場に立つとどうなのか。自分の家の近隣に保育園ができる。そうなると、毎日、午前、午後とかなりの時間、幼児たちの甲高い声が続く。甲高い声というのは、ヘルツが短く、低音に比して不快感が大きいことは生物学的にも実証されている。さらに、童謡や音楽がスピーカーからしょっちゅう流れ、保育士の声も響く。昨日まで静穏だった環境がこうした雑音の蔓延る状況に変わるのである。こうした状況を予測すると、真っ平御免だ。毎日騒音に晒されるような環境は堪ったものではない。絶対に阻止しよう。長くから続いていたこの静穏な環境をぶち壊すな。保育園を造る場所はまだ他にあるのに、なぜここを選んだのだ、別な場所を探してくれ。個人感情的意見がどんどん高まる。自分の身になって思えば、今回の決定に賛同する気持ちもわかろう。
 こうした賛否両論については、以前にも別書で書いた覚えがある。新幹線の中の子供の声のことである。新幹線の中で子供が騒いでいることについて、ネットで炎上したという議論の応酬についてである。新幹線に子供を乗せるなといった否定的意見から、子供の声は必然で受け入れるべきだという肯定的意見まで、その時点での自分たちの感情状況からの賛否両論が交わされることになる。
 私が以前書いたのは、こうした賛否両論の中で、0か1かといった線引はできないといったことであった。

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