【不機嫌日記】ボジョレー呑んで日が暮れて
頭痛じゃないけど、夏日だった昨日にくらべきょうは夕立みたいな大粒のパラパラがあったり、旋風が何度も庭の芝生に落ちた葡萄の葉を巻きあげたり、つまり私は不機嫌が止まらなかかった。
三連休に、三日連チャン出走のある夫が早く帰ってきて、朝4時の出勤の時から心に決めていたラーメンを食べに行こうと誘ってくれた。夫は淡麗醤油全部のせ、息子は蒙古タンメン。私は台湾まぜそばを頼んだけれど、全部を食べることができなかった。
辛いものを食べたあとの口は、息は、マスクをすることを許さない。唇から鼻の粘膜から、柔らかいところが悲鳴を上げるから途中でアイスクリーム買って帰る。
最近のドラッグストアは万能が止まらず、、野菜のタネから、ボジョレーヌーボーまで揃っている。去年、十一月は更年期性の鬱と、母の老人性欺瞞が炸裂し初めてボジョレーを買い忘れた。アイスを買いに入ったドラッグストアの棚にボジョレーがあるのを見つけた夫が早速一本カゴに入れた。
頭痛になるならいい。偏頭痛なら尚更だ。あれは脳と脳血管が若くないとならないらしい。小林製薬を絶賛した日記に記したが、以前は偏頭痛のいたずらに困ったものだった。目を離したスキにノートの罫線がぼやぼやと緩んで勝手に揺れだす。それをみた芥川氏は『車輪』なる小説を構想したと聞く。
歳をとると、痛くならない。痛くならないまま、はっきりしない不調が続く。これでは頭痛日記がかけず困り物だ。
しかし、ただゆっくりと自由な緩みが一日中続く。これといった力点をどこにもおけず、世界はただゆったりと優しい。自分が何のために生きているか、何をすると楽しかったか思い出せない。
それが無為に悲しくて、生きている甲斐がなくて虚しくなる。これが一番の危険だ。何にでも腹をたて、理想とのギャップに憤慨し、差を縮めようと躍起になる。それが元気の源になる。
今の主ないらだちの原因は、一月から飼い始めたスタンダートプードルの華子によるリビングの散らかり。大人しくソファの足元に長々と体を伸べていてくれる間は良いのだけど、目を離したすきに新聞やテッシュを散らかす。片付けているうちに、犬がここにきたのか、私が彼女の住まいにお邪魔しているのかわからなくなる。まだ一歳になったばかりの子供だとわかっていても耳たぶをずっとつねられているみたいに落ち着かない。
そこで今日は、解禁日だし、華子には早めにハウスに入っていただいて、ボジョレーの栓を開けた。
ピスタチオを鬼の勢いでムキながらノンアルウメッシュを煽る夫の隣で、まったりゆっくり今年の出来をいただく。今年の赤の出来はとてもよろしくて、若さよりも早くも老成した深みと渋さすら感じます。でも世の中は、疫病不安一色で、家と散歩とパソコンの前だけの私には、不安ばかりがのしかかる。ピスタチオと、他につまみが欲しくなって、遠くの景色の代わりにテレビ番組の録画を眺めて、フランスのアヌシーを旅する気分に浸った。
壊れたはずのチャイムがなった。裸足の足につっかけをひっかけて外へ出ると、ノンタッチの配達ですよ、もう3回目です、と宅急便の紳士が困り顔で立っている。
深々頭を下げたら、半分ほど空けたワインが脳に回った。
玄関を上がる頃には、我が家がものすごく素敵な家に思えてきた。華子は静かだし、ソファーも炬燵もちゃんと一直線に並んでいる。壁の写真もポスターも曲がったりなんかしていないじゃない。
そういえば三年前にもこんなことがあった。
オランダからニースへ飛び、パリに二泊して帰国した晩、私は再びリュクセンブール公演を臨むテラスに立っていた。夜空は紺碧色をしていて、大きく白い月が自分の二倍ほどの光輪をその中で光らせていた。昼からの空気も、午前一時を過ぎた頃には冷たくなって、私の肺は生きていることを喜んでいた。
しかし、不思議だった。
パリの、あのオテル・ド・ブラジルのベランダは、素敵だったけど窓枠からちんまり膝を突き出す程度の幅しかなくて、こんなふうに立つことなんてできないはずなのに。
それで気がついた。
眼下に見えるのは、我が家の庭だった。久しぶりにみる荒れているはずの庭だった。
それが不思議と、私から一旦離れ、誰かの所有物と見たとき、それは結構行けていた。散らかっていたけど、いつものように毛嫌いしたり、苛立ったりするものじゃなく、当たり前に過不足なく、ちょうど感じでそこにあって心地よかった。
こんなことは初めてだった。歳をとったせいだった。歳をとるのも、悪くない。その時思った。真実なんていらない。私が、機嫌よく、安全でいられる程度の、真実があればそれでいい。
その経験は、いっかなもう起きてくれないけど、ボジョレーは一年に一度そんな奇跡を起こしてくれるみたいだ。小さくて、無害な、奇跡だけど、明日の私はちょっとだけ肩の力が抜けている、きっと。
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