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Do-shite馬に乗らないの?!

馬乗りの気質は総じて天邪鬼だ。
あるいは次男坊気質。
あるいは実証主義。
簡単に人の言う事を信じないし、迎合しないし、
確かめないと首を縦に振らない。
実証した上でそうだと認めたとしても、
能書きがついてきて、
さらにそれは自分がもともと考えていたことだと
いつのまにか自説にしてしまう。

埼玉の社交的な倶楽部で部班から始めたときも
山梨の乗馬倶楽部に通い詰めたときも
首都圏で乗馬倶楽部ジプシーをしていたときも
イギリスで乗ったときも
かならず言われるのは、
『思うように馬が動いた時の操作を覚えていなさい』
ということ。

あまりに当たり前で、別に乗馬に限ったことではないと考えていたが、
あまりに何度もいわれるので考察してみた。
たとえば角馬場の角でニッチもサッチも動かなくなったとき
どうするか、どうしてそうなったか。
いつもおなじ。脚をいれてしっかり座り拳で掬う。
良かったときのイメージを持ち続ける。
できなかったとき、そのイメージにトラブっている自分の状況を重ねる。するとどこがすべきことから外れているのかすぐに分かる。

しかし学んだことはこんなニッチなハウツーじゃなくて、
ものごとを二者択一で捉える考え方。
うまく出来たときを雛形として、そうだったときと、そうでないときでまず分岐する。できたときにも、雛形とは違う部分がある。それを記憶しておく。できなかったときもおなじ。
二進法的思考法。それに実践した結果をつけて記憶すれば、困った時すべきことは自然と思い浮かぶ仕組み。

もうひとつ、馬を主体に考えた時、いつも言われた言葉。
「いやな記憶をのこさないように、できるトリックをさせてから終わりにしなさい」
 さぁ、今日はどうしたって、苦手な手前変換の練習をするぞ、とおもっても、必ずそのあと乗り手も馬もたのしく協働できる練習をしてから終えること。いやな練習をさせるときは香水などつけない。いい思い出だけを記憶しておいてもらおう。

どんなに訓練された馬でも危険がゼロとは言えないのも確か。
こちらの都合で乗せてもらっているのだからね。いい関係を保つのが大切で、それはどうすればいいか、教科書はあってないようなもの。
自分で手を焼き、自分で自分のやりかたを見つけていくしかない。

だから、馬乗りは
実証主義なのだ。
頭の回転がはやく、自分で自分のルールをつくり、我慢強く多少のことは目を瞑る、人を頼るのがうまいし周囲をみて見極めるのに長けているから、
次男坊気質。
そして誰かが押し着せる理論ややり方には真っ向から歯向かい
自分の物差しを最大限信じるから、
天邪鬼なのだ。

つまり、
サバイバー。
なんて面白い人たちだこと!

Do-shite馬にのらないの?!

女なのに、散々次男坊気質と呼ばれていた私。
1周回ってこの歳になって次男坊気質と呼ばれた光栄。だから、馬に乗るのよ。


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