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『エリック・サティ 覚え書』

『初期の坂口安吾はサティとポオからの影響によってファルス的(道化的、茶番劇的、笑劇的)小説の方法を追求した。』


・・・そうそう、この一文だ。

ふと手にした本からインスピレーションをもらうことがある。
月初めに訪れた水戸芸術館の珈琲店に並んでいた『エリック・サティ覚え書』秋山邦晴。

鬱屈していた日常を脱ぎ捨て、高速を駆った短いドライブが気分を良くさせていた。テキスタイルの展示は緻密で美しく、自発的な行動のご褒美的に画期的で改革的で面白かった。

その興奮のあと立ち寄った珈琲店で、外出の目的を上回る出会いをした。
家に帰り早速本を探してポチッと。
一昨日やっとそれが夜届いた。
この一文を見つけて一瞬でページを閉じたから、どこにあるかも、どんな脈絡の上での話だったのかもわからない。
ただ衝撃を受けたのと、自分の中の言語になっていない感覚を肯定された気がしたのだった。

やっとその一文を見つけた。

あえて言語にすれば、同じようなことを芥川龍之介の作品に同じような試みを挑みたいと感じたということだ。そのことは以前に書いたことがある。この一文を見つけたとき、なおざりにしてきた発想が、山積みの概念の中から引っ張り出されて背中を押される感覚。

話は飛ぶが、
近頃、noteの若い方が書かれたものの中に、19世紀のフランス人女性画家、マリー・ローランサンと批評家で詩人のギョーム・アポリネールのロマンスを書いているものを読んだ。いわゆる「教科書で見ていた人物」の定義された過去ではない人間的な部分を見つけてクスっと笑える出来事に親近感を抱く経験だと思う。

数年前、私は堀口大学にのめり込んだ。
逃げるようにフランスへ移り住んだ彼が、自分の本の中でマリー・ローランサンと恋に落ちたことを語っていたのだが、パリへ旅行したとき現地在住の同級生が、「書くのは自由よ、」と言っていたのを思い出した。

百年ほどの時間の差はあれど、
私にとっても教科書の文学者が勘違いの恋をしていたのか?と言う頭の中のバグに
なんだか親しみを感じた。


右上に見えるのは最近の本の中で最も面白かった
内田也哉子さんの『Blank Page』
20歳から雑誌のコラムなど書いてきたという。
すごい見識ぶり。
感情を交えたいろんな分野の導入本として面白い。
そしてとりもなおさず樹木希林さんと内田裕也さんの近親者であり
元木雅弘さんの配偶者。三人を語ることが主眼じゃないけれど、
ところどころに身内にしか見えない彼らの素の姿が登場する。

生きることは考えることだ、と
成長しながら変わりながら考えること
だと、読んで思った。
30〜40はまだまだ前哨戦。
最初の戦の違和感を、後半でゆっくり解いてゆく。
そういうのが人生なのでは?
40年かかって手に入れた人生スキルを
あっさり捨てて、
新しく始める大胆さだけで後半も。
ブレーキングされたばかりの新馬に馬銜をつける感じで。
後半戦ももっと面白いといい。



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